日記・コラム・つぶやき

蓮の花

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だらだらと上野下れば蓮の花(正岡子規)

朝から太陽が照り付けている。暑さのせいにはしたくないのだが、御徒町駅を乗り過ごしてしまい上野駅まできてしまった。「アジャ~!やっちゃった!」が。時計をみたら、7時45分だ。上野公園口から上野動物園の入り口を横目に不忍池に向って階段を降りたら、蓮の花が咲いていた。

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私の子供達の祖父が上野の近くに住んでいたので、蓮の花の咲くころには、毎朝早くここにきて蓮の花をスケッチしていたということを思い起した。そのスケッチの効果が、蓮の花の上に立っている観音様に。

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蓮の花は泥沼に咲くらしい。私が尊敬する青山尼僧のお書きになった「泥があるから、花はさく」を書棚から引っ張り出してきた。

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高原陸地に蓮花生ぜず 卑湿汚泥にこの花生ず『維摩経」。乾燥した高原や陸地や清流には蓮は育たず、泥沼、泥田の中にしか花は咲かない。泥がなければ花は咲かないというのだそうだ。「泥中の蓮花」・「泥多ければ仏大なり」

仏の教えは、泥中に咲く蓮花にたとえて説かれている。心に沸き起こる自分でも目をそむけたくなるような嫌な感情の泥がうずまき、ときに噴き出す。この苦しみが泥だとすると、、、。

「泥がなければ花は咲かない」となると、泥が大事、泥が材料。苦しみや悲しみという泥、これが原因となってその苦に導かれてよき師、よき教えにという縁に出会うことで、泥は肥料と転じ、美しい花という果を咲かせる。これが仏教の因果論というらしい。

御徒町駅を乗り過ごして上野駅まで行ったおかげで、少し前頭葉が刺激されたようだ。ありがたい。

 

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40年介護の妻を

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青空や牛遊びおる草原に

北海道で獣医をしている知人から、「僕の職場です」と、メールで写真が送られてきた。自称「ふつ軽(フットワークが軽い)」の私なので、すぐにも飛んでいきたいところなのだが、、、。このところ、ご縁をいただいてお身寄りのなくて孤独死されてしまわれた方の死後の手続きをいう仕事をさせてもらっている。それもなんと2人なのだ。

年子の男の子を育てさせてもらった体験から「ひとりもふたりの同じ」という感覚が身についているのかも。ありがたいことだ。

さて、約40年間介護してきた妻を車椅子ごと海に突き落として殺害したとして、殺人罪に問われた男性(82歳)に対する裁判員裁判で、裁判長は懲役3年の実刑を言い渡した。公判で、検察側は妻の介護施設への入所が迫っていたことから、「妻と別れたくないという被告の身勝手な犯行」などど主張。一方、弁護側は「被告は責任感が強く(施設に入った後の照子さんの)将来を悲観した」などと執行猶予付きの判決を求めていた。」

私がこの被告の妻だったら、、、どうしてほしかっただろうか。海に突き落とされる前に、北海道の草原に連れていってほしかった。

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サボテンの花

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今ここよ懸命に咲くサボテンの花

私の大好きな友人から、「咲いたわよ~!サボテンの花が!」と、ラインが届いた。サボテンの花ってこんなに綺麗だったかな。

サボテンの花は、夜から咲いて翌日の昼ごろには咲き終わっているらしい。まさに一夜の命。

そういえば、私の少しだけ私より年上の財津和夫さんが作詞作曲した曲に「サボテンの花」が、あってことを思い起した。ググって(グーグルで調べる)みると、

ほんの小さな出来事に愛は傷ついて 君は部屋をとびだした真冬の空の下に 編みかけていた手袋と洗いかけも洗濯もの シャボンの泡がゆれていた

思い出つまったこの部屋を僕も出てゆこう ドアに鍵をおろした時なぜか涙がこぼれた 君が育てたサボテンは小さな花を作った 春はもうすぐそこまで恋は終わった

サボテンの花が咲いたではなくサボテンは小さな花を作った。深いなぁ~!財津さんもコンサートに行きたくなってきた。

春が来る前に恋は終わる。恋は終わるからよい、花も散るからよい、人も死ぬからよいのかもしれない。

あっという間に7月17日になってしまった。今年も半年を過ぎた。73歳に成ってから白髪染めをやめたおかげで、自分で言うのも気恥ずかしいのだが、亡くなった母に似てきていい感じになっている。ありがたいことである。

 

 

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娘が46歳に

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あっという間に46歳になっちゃた

スペインのグラナダで日本食のお店をやっている娘から、ラインで「ママ!46歳になっちゃった!」「まだ46歳でしょ!これからもっとよくなるよ!」「なにが良くなるの」「全部」

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昨年の8月に日本に帰国したときに、私の関与先のあおやま着物学院にて、孫娘のソフィアと2日間の着付けの特訓を受けた。その折に、学院長や先生から着物と帯びを頂いたので、トランク一杯に着物と帯びと小物と草履とを詰めてグラナダに帰って行った。

「習うより慣れよ」ということで、頑張って着物を着ている。ラインで写真が送られてくるので、講評を「帯留めをもっときつく上に、帯あげはもっと中に、、、。」ついでに「少しお化粧がキツイんじゃないかなぁ~!」「でしょ~!スペイン人のお友達がやってくれるんで、、、。」「スペイン人って顔が濃い~いから仕方がないね!」

73歳の母親と46歳の娘の会話だ。幸せだなぁ~!

 

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紫陽花

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紫陽花の陰に目があり見ればなし(加藤楸邨)

梅雨明けが待ちどおしい。このところ、心掛けて歩くようにしている。私が尊敬する先輩たちから「脊柱管狭窄症、圧迫骨折」とやらで、「歩けなくなちゃった」とのお知らせが、ラインやメールが舞い込んできているからだ。

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膝の手術をして退院後はリハビリのために散歩をしている友人からは、散歩の途中で見かけた紫陽花の写真がラインで送られてきた。

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散歩の途中で紫陽花に会えるのは、この梅雨の季節ならではの楽しみかも。「歩ける動ける見える」まだ出来ることがこんなにある。ありがたい。

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たった1か月の成年後見人

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しょうがないこんなこともあるんだしょうがない

令和5年4月7日に、台東区が申立人となって、後見開始の審判を受けて令和5年4月26日に裁判が確定、4月28日に後見登記がなされた。5月11日に後見登記課にて「登記事項証明書」を取得。73歳にして「成年後見人に就任」した。因みに被成年後見人は72歳。

その証明書を持って、台東区役所の高齢者福祉課、入院されている病院、空き家になってしまっているご自宅へと。ご近所さんへ、成年後見人になった旨のご挨拶等々。被成年後見人のお隣さんから「玄関脇の植木が道路にはみ出ていて、困っていんだ!なんとかしろよ!今年の氏神様のお祭りで、この通りに本社神輿が通るんだ!」「はい!なんとかします」

友人の区議会議員の先生に電話をして「助けて~!」「なんんとかしよう~!」シルバー人材センターに繋いでくれて、なんとかなった。

家庭裁判所への最初の報告ができてほっとしていると、病院の事務員さんから「先ほどSさんがお亡くなりになりました」との電話が。

たった1か月の成年後見人だった。

たまたま、友人から(彼はセミプロのホークシンガー)動画が送られてきた。「しょうがないしょうがない雨の日はしょうがない」一緒に口すさんだ。「しょうがないしょうがないこんなこともあるんだしょうがない」。

突然話は変わるが、掲載した石膏の観音様は、私の義父の作品だ。先日、アルバムを整理して見つけた写真をパソコンに取り入れてみた。

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建長寺

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梅雨いりて法話を聞きに建長寺

6月10日建長寺に行ってきた。円覚寺と建長寺の間で、「去来庵」というお店のおかみさんから「10日の13時から建長寺の仏殿で、法話会があるからいらっしゃい!」とのラインをいただいた。「はい!伺います」「法話のあとに、管長様に貴女を紹介するわね」「管長様って、あの吉田正道老師ですか」「そうよ」

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仏殿での若手のイケメン僧侶3人の法話をお伺いした後に、管長様のおられる「小方丈」をお訪ねした。玄関に入ると、私の孫のような修行僧が出迎えてくれた。「お待ちしておりました」

床の間を背にして、管長様が満面の笑みで迎えてくださった。

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「物怖じしない」いう性格に加えて職業がらの、「本人確認」の癖がでてしまった。お茶とお菓子を頂いてから、「管長様!生年月日をお教えください」「昭和15年2月22日生」「えっえ!私は昭和25年2月21日生まれです」「では、わしの姉ちゃんだ」確かに10年とれば、一日だけ早いお姉ちゃんだ。

では、次回お会いしたときはお姉ちゃんと呼んでもらいましょう~!

「ところで、管長様はなにがご縁で僧侶になれたのですか」「8歳のときに父親が他界して、5人きょうだいの3番目として生まれた。父親の遺言には、家系僧侶がいること」それに従い、愛知県の臨済宗妙心寺派宝光寺に預かけられた。毎朝境内を掃除して、学校にいった。冬場は手足があかぎれだらけになった」。「お辛かったでしょう~!どうして逃げなかったのですか」「逃げたよ!やっとやっと家について、かあちゃん!と」「かあちゃんは、家に入れてくれなかった。お寺に帰りなさい」

「凄いおかあさんですね~!」まさに、この息子にしてあの母あり。

「管長様!この建長寺の管長様になられたときには、お母様がどうようなご様子だったんですか」「建長寺におふくろを連れてきたとき、どの建物がおまえの寺なんだいって聞かれたから、全部だよって」「びっくりしたでしょうね~~!」。

 

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オオルリ

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オオルリに会いたさ見たさに森の中

朝8時30分発の新幹線に乗って、「もしかしてオオルリに会えるかも」との期待をもって、親友のSちゃんに会いに軽井沢に行ってきた。

先日、北海道の室蘭に住んでいる知人から、「家の近くの森にいるおオオルリです」と、メールに添付されて写真が送られてきたからだ。「そうだ、オオルリを見に行こう~!」

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早速に、グーグルで調べた(最近の若者ことばではグーグルで調べることをググるというらしい」)。

【オオルリは、ウグイスとコマドリとともに日本三鳴鳥の1つに数えられている。鳴き声が美しい鳥の一種なのだ。オオルリは、鮮やかな瑠璃色の身体が特徴。漢字では、「大瑠璃」と書く。

オスとメスでは、体の色が違う。オスは、背中部分が尾にかけて綺麗な青色、腹は白色、喉や顔は黒色で、瑠璃色。メスは、地味目で淡褐色。】

「オスの方は派手で、メスが地味」なんでだろう。なにやら、オオルリはメスがオスを選ぶらしい。つまり、オスはメスにナンパされてなんぼのものだとか。人間界もこれからはオオルリの世界のようになるかも。

ところでだが、残念なことに本物のオオルリには会えなかったが、オオルリの絵手紙に出会えた。この額入りのオオルリは、星野リゾート地内にあるトンボの湯の女子の入り口で、私を待っていてくれたのだ。

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作者は、私の友人の塔下えり子氏だ。彼女は書家で、約3年前から軽井沢に移住している。ありがたいことに、昨年の7月に軽井沢の私の親友のSちゃんを紹介することができた。

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愛する母への感謝状

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母の日にグレイヘヤーになりにけり

今日は母の日だ。スペインにいる娘からは、メッセージのライン、日本にいる嫁からは花が送られてきた。

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私には、息子が二人いるが、、、。彼らからは、うんともすんともメールも電話もない。

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スペインのグラナダにいる孫娘からは、笑顔の写真が。

本だなの奥から取り出してきた「愛する母への感謝状」の私の文章。ちょうど18年前だ。

【手料理でお客様をもてなすのが大好きだった私の母に育てられた長女が、料理研究家になることを目指して、4年前にローマに留学した。その後、アルハンブラ宮殿のあるスペインのグラナダに嫁いで、大きなお腹を抱えて6月中旬に、一時帰国した。今、長女と初孫の出産準備のための買い物を楽しんでいる。

孫の出産予定日は、亡くなった私の母の生まれた10月10日で、生まれてくる孫は女の子と。そして今年は、母が亡くなって10年目だ。「10年ひと昔」といわれているが、この私は母と娘のおかげで、「おばあちゃん」に。

母は、平成7年8月31日の朝、いつものように身支度を整えて茶の間の仏壇の前で、割烹着姿まま横になり静かに息を引き取った。私は母の死から、「良い生き方は、良い死に方につながる」ことを学んだ。「母のように一生懸命に働けば、母のように楽に死ねる。」と信じるようになった。

私の父の柳生家の末裔の末っ子に嫁いだ母は、柳生家の家訓の「小才は縁に気付かず、中才は縁を生かさず、大才は袖すり合う縁をも生かす。」を実践した生き方をしていた。ご縁を大切にしていた。

私と娘に、「人様から可愛がられる人になりなさい。」と育ててくれた母の教えは、孫娘にしっかりと根付いている。

私のオフィスの机の上には、母が微笑んでいる似顔絵と。母の大好きだった相田みつお先生の書が額に入れて飾ってある。「あなたがそこにただいるだけで、みんなのこころがやすらぐ、そんなあなたにわたしはなりたい。」私もいつか母のようなおばあちゃんになりたいものである。

 

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紫蘭

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雨あがり道端に咲く紫蘭かな

4月16日目黒駅から祐天寺駅まで歩いた。大好きな友人から、「私達共通の友人の息子が区議選に立候補したので、祐天寺の駅歩いて3分のところで出陣式があります。一緒に行きませんか」との、ラインが。

『誘われたら断らない』を、このところ心掛けているので、「行きま~す!」

いよいよ、区長選と区議選が始まった。23日の投票日まで1週間の選挙選だ。私は23年前の50歳の時に、1週間ほど選挙事務所の近くのビジネスホテルに宿泊して、選挙運動を手伝ったという体験がある。懐かしく思い起こしている。

ネット社会になった今どきの選挙と違って当時の選挙は、選挙カーに乗っての名前の連呼、町や村の寄り合い所での演説会等の準備、学校の卒業名簿等で電話がけ、事務所に来られる応援者の人へのお茶出し、といれ掃除、、、。学生時代の運動部の合宿のような朝から夜まであっという間の1週間だった。

私がお手伝いした選挙選は衆議院議員の選挙で、選挙区は壱岐対馬・五島列島の離島を入れた長崎2区だった。なんで、この私が長崎くんだりまで、、、。が、おかげで思いがけない体験をいっぱいさせてもらえたのだ。

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