日記・コラム・つぶやき

花のいのち

平成30年3月30日金曜日年度末に大量の登記申請が出来た。今年は、桜の開花が早かったので、上野の山のお花見ができなかった。「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりし」

明日は4月1日、今年も残すと9ヶ月、人のいのちも短い。今日は、若くして亡くなった姪の墓参りに行ってきた。姪は、子育てをしながら建築家として活躍をしていた。仕事が面白かったらしく、忙しく日々を過ごしていた。が、身体の変調に気づたときには手遅れ、約一年の闘病生活を経て天国に旅立った。遺していった息子は小学4年生に。伸び伸びと育っている。感謝あるのみ。

天国の姪に、「貴女は人生をさわやかな笑顔で駆け抜けていった。遺していった息子の笑顔をみるたびに貴女の笑顔を思い出す。今は少々寂しいけれど、私もそろそろ貴女のところにいくから笑顔で迎えてね!」笑顔で伝えた。

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年寄り笑うな

このところ朝早く目が覚めてしまう。確実に年寄りになった。今朝は、亡くなった母の夢を見た。私の3人の子ども達が小さい頃、母が田舎から出て来てくれて子ども達を育ててくれた時のことを思い出してしまった。

70歳頃の母に対して、私は、母に「ボケたんじゃないの?なんでこんなことをやるの!」等々きついことを言っていた。「年寄り叱るな!これから行く道じゃ」違うでしょ!「若いもの叱るなじぶんが来た道じゃ」でしょ!
母は、大正3年生まれの寅年、私は、昭和25年生まれの寅年。「生意気が洋服を着て歩いている」と言われていた頃だった。

昨日、机の引き出しから「若いもの叱るなきた道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ、来た道往く道みんな来た道往く道じゃ。これから通る今日の道、通り直しのきかぬ道。今やらねばいつ出来る。わしがやらねば誰がやる。」古いメモが。

母が亡くなって20数年、息子に「年寄り叱るな行く道じゃ」と、言っている私。歳はとらないとわからない。

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めでさたも、、、

2月21日に68歳になった。60歳を迎えてから、人生ののりしろを一ミリでも拡げたいと、いろいろなことに挑戦してみたが、すべて挫折してしまった。あゝ情けないったらありゃしない。

友人達から、「お誕生日おめでとう」のメッセージを頂いた。「ありがとうございます!」と、素直に返信したり、いじけて、「なにがめでたい68歳」と、返信したりと、古希まで後2年。どのように成長するか楽しみだ。

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浅草寺

初春や鳩が家出の浅草寺

後見人の仕事で浅草に行ってきた。上野から銀座線に乗って浅草駅に。上野駅の改修工事が終わって地下駅が綺麗になっていたので、驚き‼️長女が、大学生のときに、朝7時からアルバイトをしていた大衆食堂の後は、コジャレタ雑貨屋さんになっていた。20年前 に、娘は朝早起きして上野駅の地下の大衆食堂で、始めは、コヒーのブースに雇われた。当時上野駅には朝からうどんやどんぶりものの腹に重たいものを食べたい人達がいたのだ。


ある日、アルバイトの人がいないうどん屋さんに、お客さんが。となりのコヒーのブースの娘に「おい、ねちゃん!うどんくれ!」娘は、小さい頃から私の母にしっかりと家庭料理の作り方を仕込まれていたので「はい!
かしこまりました」。翌朝から娘は、うどん屋さんのブースで働くことになった。

あれから20年、今じゃ、娘はスペインのグラナダで寿司職人として働いている。それもオーナーチェフとして。ありがたいことだ。おかげ様で娘のお店は、休日は予約で一杯で繁盛している。店の名前は「レストランテマサエ」だ。忙しくてなかなか日本には帰ってこれない。

さて、上野駅から浅草駅に、浅草駅も改修工事が終わり綺麗になっていた。早速、ひとりで浅草寺にお詣りに。家族ずれや観光客で賑わっていた。いつもなら境内でのんびりとしている鳩がいない。家出しているのかな、それとも引っ越してしまったのかな。

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さあ準備をはじめよう。

いただいた年賀状の整理をした。「古希を迎えました」との、友人達の年賀状が数枚。古希は70歳のこと、古来稀なりということで長寿への領域に足を踏み入れたのだ。私は、今年の2月に68歳になる。古希 まであと2年。

「人生50年から人生100年時代へ」2017年では、日本人の女性の3人に1人が65歳以上になったといわれている。確かに、スポーツクラブに行っても、温泉に行っても、デパートに行っても、おばさん、おばあさんが。私が、成年後見人として訪問する施設でも、おばあさん達ばかりだ。

百歳人生の始まりだ。「長すぎる人生をどう味わうか。変化にとまどう大人たちヘ贈る新しい生き方の提言!」書店にヒラ積みになっていた五木寛之氏の「百歳人生を生きるヒント」を購入してきた。ななめ読みしたなかで、私の大好きな茨城のり子さんのことが書かれていた。茨城さんが73歳のときに書かれた詩、「倚りかからず」

もはやできあいの思想には倚かかりたくない もはやできあいの宗教には倚りかかりたくない もはやできあいの学問には倚りかかりたくない もはやいかなる権威にも倚かかりたくない ながく生きて心底学んだのはそれぐらい じぶんの耳目 じぶんの足のみで立っていて なに不都合なことやある 倚りかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ

倚かからない、肝に銘じて日々過ごしたいものだ。さあ今年は足腰を鍛えるぞ!



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仕事はじめ

朝9時に東京法務局台東出帳所に出向いた。平成29年12月31日を合併期日となった株式会社の合併登記申請書を提出し、受理証明書の交付を受けた。事務所に戻り、証明書を、スキャンしPDFにしてメールにて依頼先の担当部長に送った。

パソコンが使えなければ、死ぬまで働けない。という啓示を受けたので、挑戦したのだ。メールが送れたか否か、不安の頂点に達した時に恐る恐るパソコンのメールを開いた。届いていた。初仕事、上手くいった!

お陰で、ビールでひとりカンパイ!

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住めばみやこ

昨年の10月に目黒の駅近くのマンションに引っ越してきた。文京区の13部屋あった一軒家から3部屋の集合住宅への住み変えだ。はやりの「断捨離」をやった。ものを捨てまくったお陰で、作り付けのクローゼットも書棚もスカスカ。「なるべくものはもたない」ベットもなし、「起きて半畳、寝て壱畳」。確か、吉田兼好だったか、「人生には多くのものはいらない、一人の友人と一冊の本と、あとは??」??は、人によって違うかも?私だったら、健康かな。



今の部屋の広さは、18歳で東京に出てきたときの私の部屋と同じ広さだ。18歳から68歳の50年たった状況の違いは、共用のリビングとダイニングとトイレとが広いこと。加えて、台所の使い勝手がいいところだ。良かったことその1、ゴミ当番がないこと。その2、暖かいこと。その3、ネズミがいないこと。その4、夕陽が見られること。その5、毎日、お弁当と夕食が作れるようになったこと。その6、朝早起きして自己流のヨガができること。その7、トイレが広いので、トイレで本がよめるようになったこと。

駅からの遊歩道の入口では、毎朝毎夕、隣の高級マンションのブリリア目黒タワーのコンセリュジュのおじさま(もしかして、近所のおじさんかも?)が私に、「おはようございます!お疲れ様です!」。なんだかお金持ちになった気分だ。でも、タワーを見上げて、「耳冷たし金持ちにはなれそうもなし」。

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明けましておめでとうございます。

めでさたも中ぐらいかおらが春

丸一年、正確には362日のご無沙汰だ。穏やかな新年が迎えられたことに心から感謝の思いで一杯だ。昨年は、3人目の男の子の孫が生まれた。その男の子の耳の形が、私の亡くなった長兄と同じ形なのだ。孫の耳をそっと撫でた。しあわせの瞬間だった。

昨年は、胃潰瘍になってしまい病院にお世話になった。最先端の医療を受けて、快記祝いに一口ビールを飲んだ。しあわせの瞬間だった。

なんでもないあたりまえのことにありがたいと、思えるようなことに出会えた一年だった。今年もたくさんのご縁がありますように、穏やか日々が過ごせますように、中ぐらいのしあわせをいただけますように!

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年賀状

新年のお祝いを申し上げます。

穏やか天候のおかげで心も身体も伸びやかに新年を迎えられた。今年は、10年ぶりだろうか小日向の古家で何処にも出かけずに過ごしている。丸3日間もゆったりまったりしていると、肩と首のコリが取れてきているようだ。

今年は、67歳になる。22歳から始めた司法書士業は45年になる。元気でさえいれば、後20年は仕事ができる。かなり欲張りかもしれないので、少々控えめに70歳になるまでの3年間は、初心に返って働きたいものだ。

昨年は嫁が東京第二弁護士会に弁護士登録した。「年寄り笑うなこれから行く道じゃ、若いもの叱るな今まで来た道じゃ」嫁と姑で切磋琢磨しながら、成年後見業務、遺産整理業務、遺言サポート業務、登記業務、家族信託業務、離婚相談業務等に励む。心意気は満タンだ。さて、三日持つか?

「こころよく我に働く仕事あれ、それをし遂げて死なむと思ふ」(石川啄木)

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成年後見相談会

40歳になったら死のうと思っていた。

これは、桐野夏生の『ダーク』の有名な冒頭の一文だそうだ。今朝、パソコンを開いて、スペインのグラナダの娘のことを案じて、メールをしようかどうかと迷っている私の目に、長女と同じ年頃の雨宮まみ氏のブログが飛び込んできた。

40歳って、覚悟を決めたり、何かをつきつめたり、しっかりと定まった目標に向かっていく年齢、意志のある顔をもっている年代、なんだそうだ。

振り返ってみると、私が40歳のときは、仕事と3人の子供達との悪戦苦闘の日々だった。「目標、覚悟、意志」私の辞書にはそんな言葉はなかった。

「過ぎてみれば、40歳なんてまだまだ若い、悩んで迷っていいんだよ!貴女は貴女らしく過ごしてね!」娘にメールした。

さて、本題へ、昨日は、司法書士会主催の成年後見人の相談会に参加してきた。「おひとり様の老後が不安という女性、自分がなくなった後の息子のことが不安という女性、認知症になってしまった姉のことが不安という男性」等々のお悩みを抱えている相談者に対して、2人の司法書士が相談に乗った。司法書士のなかでは私が一番の高齢、その他はすべて息子達の年代だ。

成年後見制度については、若い司法書士が、丁寧に解りやすく説明してくれる。相談者達は、「ハイ!解りました。」、「ところで、先生!今、こんなことで、困っているんです、どうしたらいいんでしょうか?「どうしたもんじゃろ~ね~!」

いよいよ私の出番だ。「先生!恥ずかしいんですけど、、、」「人間長いこと生きてくれば、恥ずかしいことなんかいっぱいありますよ!」自慢ですけど、私なんて恥ずかしいことだらけで、穴を掘って埋めたいくらいですよ!」

難しい試験に合格して司法書士になった若い先生は、私の横で、困ったさんに。「あっ!またやっちゃった!」「k先生は、どう思われますか?」若い人に花を持たせなければ、、、

「先生!話を聞いてもらえて、胸のつかえがとれました。」「少しですがお力になれたようで嬉しいです」相談会に参加できてよかった。

ところで、雨宮まみ氏が15日朝に亡くなっていた。40歳で自宅で心肺停止状態で床に倒れているところを警察に発見された、とのこと。ご冥福を祈るのみだ。

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