旅行・地域

納沙布岬へ

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最北端の納沙布岬へ

日本で一番早く朝日と出会える場所らしい。残念ながらこの日も曇りで北方領土は見渡すことだできない。

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北方領土返還と平和の祈りを込めたモニュメント「四島のかけ橋」がデーンと。

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因みにだが、日本の東西南北のうち一般の人が行ける4カ所は、

東・・・納沙布岬(北海道)

西・・・与那国島(沖縄県)

南・・・波照間島(沖縄県)

北・・・宗谷岬(北海道)

だそうだ。宗谷岬には、55年前の若かりし頃に行っていたので、死ぬまでには西と南に行きたいものだ。

 

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野付半島へ

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国道240号を走行して野付半島へ

大正10年9月18日に、野付半島を訪れた文豪大町桂月は「北海道を遊びてここに至らば、先ず北海道の散水の堂に上がりたりというべき也と絶賛したとのこと。

国後島は、ここからわずか16キロメートルのところにある。

昭和37年12月に「野付風連道立自然公園」に指定された。

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鹿の案内で歩いて行くと

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トドワラの木の看板が。

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ここで、記念写真を。

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晴れていれば、16キロメートル先になる国後島が。

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帰り道には、キタキツネが寄ってきてくれた。

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羅臼町へ

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遅咲きのはまなすの花残暑かな

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早咲きのはまなすの実酷暑かな

知床岬に行くのは諦めて羅臼町へ。

羅臼町にある「喫茶とおりゃんせ」で朝のコヒーが飲めるかもとお店に行くと、閉まっていた。残念でしたと、帰ろうとしたら、カーテンあいいた。

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中から「美味しいコヒーをいれるからどうぞ!」と、女将さんが。

「わあ~ラッキー!」それではいただきます。

豆を挽いてサイホンで、おしゃべりをしながらいれていただいたコヒーを、一緒のテーブルでお喋りしながら美味しくいただいた。

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旅の楽しみは人との出会いと言われている。失礼ながら年齢お伺いしてビックリポン!なんと90歳。近くに住んでいる妹さんが「おはよ~う!」とお店に。「姉ちゃん、ふかし芋も持ってきたよ」「みんなでたべよう~!」美味しくいただきました。

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背筋がピンと伸びている。見習いたいものである。「また来てね!」「はい!また来ます」。店先の秋桜に、「じゃあまたね!」

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知床峠へ

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知床峠へ

国道334号を知床峠に向って、朝5時起きをして車を走らせた。霧の中を慎重に運転していくと鹿の親子が。

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小鹿がこちらをじっと見ている。

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なんと小鹿が道路の中央にきてくれて、「みてみてわたしを」と言っているようだ。

鹿の親子に「ありがとう!」とお礼を言って知床峠に。

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知床峠園地には、「北方領土はわが国固有の領土です」との立派な看板があった。

雨が強く降ってきたので、知床岬に行くのは、次回にしようということにした。

「知床の岬にはまなすのさくころ、想い出しておくれ俺たちのことを飲んで騒いで丘に登れば遥か国後に白夜は明ける』晴れていれば、国後島が。

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知床五湖へ

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神秘的な知床五湖へ

北海道での旅を楽しんできてから、あっという間に1か月が過ぎてしまった。4月から弁護士の嫁と事務員さんが毎日来てくれているお陰で、相続や成年後見、離婚等の相談業務が増えている。ありがいことである。

ブログを書かないでいたら、ナマケモノ倶楽部に入ってしまったようだ。

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折角、知床に行ったのだから、せめて写真でけでもアップしておくことに。

知床五湖には、「2つの歩き方」がある。一つは高架木橋でもうひとつは地上遊歩道だ。

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順番に一湖へ。

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次は二湖へ。

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続いて三湖へ。

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三湖では、スタートから仲良しになった孫娘のようなフランス人の女の子と「ハイ、チーズ!」旅は人との出逢いのためにある。

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やっと四湖に。

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五湖にたどり着いた。」

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世界遺産になったおかげだろうか、立派な木橋ができていた。

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延々と木橋が夕焼けのなかに続いていた。

 

 

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網走監獄へ

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台風の合間に網走監獄に

今年は台風の当たり年のようだ。台風の合間に1983年に開館した博物館網走監獄に行ってきた。旧網走刑務所の歴史的建物25棟が保存されていて博物館になっている。

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夏休みなのに、台風の影響で見学者もすくない。

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正門をくぐると、面会室があり覗いてみると、おばあさんと弁護士さんらしき蝋人形が。このおばあさんは、息子に会いにきたに違ない。息子がどのような罪をおかしたのだろう、懲役は何年なんだろう。どんな思いでこの面会室にいたのだろうか。胸が苦しくなった。

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「面会については、厳しい規則があり、認められないこともあった」。このおばあさんは息子の面会できたのだろうか。面会できたときは、どのようなな言葉をかけてやったのだろうか。私だったら、、、。

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空を見上げて深呼吸した。

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湯殿山神社へ

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出羽三山のひとつの湯殿神社に。

4月1日から相続登記と住所移転の登記が義務化になったおかげで、日々忙しくさせてもらっている。そのために旅日記が中途半端になってしまっている。

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出羽三山は、山形県村山地方・と庄内地方に広がる月山・羽黒山・湯殿山の総称で、山岳信仰の場として、多くの参拝者が来ているとのこと。

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山の神が祭神として祀られている。自然と信仰が息づく自然崇拝の聖地。では(出羽)頑張って参拝にと歩きだしたところ、

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突然雷が鳴って大雨に。仕方ないので、またの機会に。次回は、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)に山伏の恰好をして登ってみようかな。

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山形牛のしゃぶしゃぶ

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万緑に山形牛を食らふ

泊まらせていただくロッジの2階の大きな窓からは万緑の風景が。

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この4月1日から「相続登記の義務化」になったおかげで、以前にご縁をいただいた方たちから難しい案件の相続案件を受託して、充実した日々を過ごしている。加えて、事務所の内装工事も終え、弁護士が3人とスタッフが1人増えて賑やかになった。言い訳をすると、旅日記が書く暇がなかったのだ。そこで、忘れてしまわないうち書くことに。

 

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晴れていれば、外で山形牛のバーベキューなんだそうだが、雨もようだったので、左に見えているレストランへ。

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久しぶりの超豪華な夕食に、ビックリポン!

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なんととなりのテーブルには、山形牛が。イケメンのチェフが自らお料理を運んでくれた。聞くところによると、10年前に埼玉から登山にきた際、ここが気に入ってしまいこのポレポレに住むようになったのだそうだ。

お野菜は、自家菜園でどれもオーガニック、美味しくいただいた。

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月山ポレポレファームへ

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五月雨を集めて早し最上川

今日は6月29日だ。あっという間に半年が過ぎてしまう。「ヤバイ!6月は何していんだろう」いつものように朝5時に起きて、窓を開けるとやや曇り空。昨日は雨が降ったり止んだり、梅雨模様だった。

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6月2日山形新幹線に乗って最上川が流れている山形へ。福島で、連結していた車両が離されて山形駅に。

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山形駅で記念写真を。山形駅の改札を出ると、今回の旅を企画してくれた友人2人とその妹さんが笑顔で待っていてくれた。友人の一人は山形出身の某新聞社の編集長、もう一人は某大使館のスタッフだった素敵な女性達だ。

駅を出て駐車場に行くと、なんとポレポレファームの社長の奥山さんがニコニコ顔で待っていてくれた。

奥山氏は、札幌で主にアフリカ旅行を中心に取り扱っていた旅行会社を経営していてアフリカ大好き人間。そこで、このファームを開設するにあたって、ポレポレファームと命名。因みにスワヒリ語のポレポレは「ゆっくり」。

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農場に入ると、泊まらせていただロッジが出迎えてくれた。

 

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箱根駅伝ミュージアムへ

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万緑の箱根駅伝ミュージアム

箱根湯本温泉んの天成園で、露天風呂に入り美味しい昼ご飯と少々のビールを頂いた。ほろ酔い気分でバスに乗って箱根駅伝ミュージアムへ。

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中に入ると、「中大、前人未到の6連覇達成!」の文字が目に飛び込んできた。「中大黄金期到来」へぇ~黄金期があったんだ!

「1950年全区間首位、往復路、総合とも1位」私が生まれた年だから74年前の当時の写真が。

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母校の先輩に手を振った。

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