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2024年10月

佐渡金山へ

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両津港からレンタカーで佐渡金山へ

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金山入り口のチケット売り場には若者たちが自動販売機にてチケットを購入していた。

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全長400mの江戸金山絵巻コースを歩いていくと、「間切」の立て札が。覗いたら、突然お人形のおじさんの顔が私の目の前に。

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ぎょぎょぎよなんだろう!

ここは佐渡金山の宗太夫抗の江戸金山絵巻コースのなかだ。全長400mの坑道内の通路を抜けると

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道游の割戸へ。

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山頂部の割れ目は、幅約30m深さ約74mのあるそうだ。巨大な金脈を堀り進むうちに山がⅤ字に割れてしまったような姿になっている。

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お土産に、「埋蔵金」1両が15枚も入ったチョコレートを6ケース購入。15×6=90両だからお大尽になった。

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なんと、池には金の鯉が。

 

 

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佐渡島へ

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ハア~佐渡へ佐渡へと草木もなびく、ハア~来いと。云うたとて行かりょか佐渡へ、佐渡は四十九里波の上。(佐渡おけさの歌詞)

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朝7時4分東京駅発の新幹線とき号に乗って、8時56分新潟駅に。駅からタクシーに乗って新潟港へ、9時25分は発のときわ丸に乗船して両津港に向かった。

船内には、ペット専用のスペースが設けられており、買主と賢そうな柴犬がのんびりを船旅を楽しんでいた。柴犬と目が合ってしまったので、「こんにちは!」とあいさつをして、隣に座らせてもらった。「犬は船酔いしないんですか?」「小さい頃は船酔いしてましたが、このところ慣れてきてしなくなりました。」「この犬と一緒に日本国中を回っているです。」「そうなんですか。」「犬と一緒だと喧嘩しなくていいですね。」

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「もうすぐ、両津港に到着だよ」カモメが知らせに飛んできた。

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11時55分に到着。6時30分に目黒の自宅を出て、約6時間後には佐渡島へ。びっくりぽんだ。昔は、東京から佐渡島までは遠かったんだろううな。

因みにだが、新潟県本土の西部に位置する「佐渡島」は、沖縄本土に次いで大きな離島で東京23区の1.5倍だそうだ。

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孫娘が19歳に

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孫娘が19歳になった。

19年前に孫娘が産まれたとき(10月12日)に「この娘が二十歳になるまでは生きていられますように」と、祈ったことを思い起している。

あと1年、なんとか生きられますようにと、祈った。

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事務所の私の部屋に薔薇を飾って,ひとり静かに孫娘の誕生日を祝った。

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私の机の前の大正3年10月12日生まれの母(生きていれば109歳)から、「ひ孫が30歳になるまでは、頑張って生きなさい!」とのエールが。あと11年後は85歳、楽勝、楽勝。今日からスクワットを11回増やそう~!

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藤城清治美術館へ

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土曜日いつものように朝早く目が覚めた。天気予報を調べると曇りだったので、東京駅から新幹線に乗って那須高原駅へ。

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駅前でレンタカーを借りて、向かった先は、「藤城清治美術館」。「光と影の芸術人」と賞されている今年100歳になられた藤城清治氏が作られた美術館だ。「ぼくの美術館ができる。それは若い頃から、ずーと持ち続けてきた夢だった。その夢が夢でなく、本当に実現して、こんなうれしいことはない。」

長屋門をくぐり抜け森に足を踏み入れると、なんとネコちゃんが、「ようこそ!」と、お出迎え。

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教会の看板。

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なんと、手作りのレンガの教会が。

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中に入ると「なにこれ!」素晴らしいステンドグラスが。

美術館の中には、代表作・名作が200点以上が展示、2階には清治氏のアトリエが再現されていた。藤城ワールドを堪能。

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雨が上がったので、帰りはフラワーワールドへ。

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ケイトウの花が満開だった。

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納沙布岬へ

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最北端の納沙布岬へ

日本で一番早く朝日と出会える場所らしい。残念ながらこの日も曇りで北方領土は見渡すことだできない。

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北方領土返還と平和の祈りを込めたモニュメント「四島のかけ橋」がデーンと。4島とは国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島のことを指す。

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因みにだが、日本の東西南北のうち一般の人が行ける4カ所は、

東・・・納沙布岬(北海道)

西・・・与那国島(沖縄県)

南・・・波照間島(沖縄県)

北・・・宗谷岬(北海道)

だそうだ。宗谷岬には、55年前の若かりし頃に行っていたので、死ぬまでには西と南に行きたいものだ。

 

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野付半島へ

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国道240号を走行して野付半島へ

大正10年9月18日に、野付半島を訪れた文豪大町桂月は「北海道を遊びてここに至らば、先ず北海道の散水の堂に上がりたりというべき也と絶賛したとのこと。

国後島は、ここからわずか16キロメートルのところにある。

昭和37年12月に「野付風連道立自然公園」に指定された。

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鹿の案内で歩いて行くと

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トドワラの木の看板が。

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ここで、記念写真を。

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晴れていれば、16キロメートル先になる国後島が。

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帰り道には、キタキツネが寄ってきてくれた。

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羅臼町へ

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遅咲きのはまなすの花残暑かな

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早咲きのはまなすの実酷暑かな

知床岬に行くのは諦めて羅臼町へ。

羅臼町にある「喫茶とおりゃんせ」で朝のコヒーが飲めるかもとお店に行くと、閉まっていた。残念でしたと、帰ろうとしたら、カーテンがあいた。

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中から「美味しいコヒーをいれるからどうぞ!」と、女将さんが。

「わあ~ラッキー!」それではいただきます。

豆を挽いてサイホンで、おしゃべりをしながらいれていただいたコヒーを、一緒のテーブルでお喋りしながら美味しくいただいた。

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旅の楽しみは人との出会いと言われている。失礼ながら年齢お伺いしてビックリポン!なんと90歳。近くに住んでいる妹さんが「おはよ~う!」とお店に。「姉ちゃん、ふかし芋も持ってきたよ」「みんなでたべよう~!」美味しくいただきました。

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女将さんは、「この店はね、50年やっているのよ」「へぇ~偶然、私も事務所を開業して50年、同級生だ」「私はあと10年、貴女はあと20年頑張ろうね!」「はい!」。

背筋がピンと伸びている。見習いたいものである。「また来てね!」「はい!また来ます」。店先の秋桜に、「じゃあまたね!」

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知床峠へ

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知床峠へ

国道334号を知床峠に向って、朝5時起きをして車を走らせた。霧の中を慎重に運転していくと鹿の親子が。

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小鹿がこちらをじっと見ている。

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なんと小鹿が道路の中央にきてくれて、「みてみてわたしを」と言っているようだ。

鹿の親子に「ありがとう!」とお礼を言って知床峠に。

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知床峠園地には、「北方領土はわが国固有の領土です」との立派な看板があった。

雨が強く降ってきたので、知床岬に行くのは、次回にしようということにした。

「知床の岬にはまなすのさくころ、想い出しておくれ俺たちのことを飲んで騒いで丘に登れば遥か国後に白夜は明ける』晴れていれば、国後島が。

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