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狗尾草

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彼岸前猫じゃらしもコロコロと

9月18日5時起床、早めに家を出て線路沿いを五反田駅まで歩いた。途中に、猫じゃらしが。事務所にきて猫じゃらしの本名を調べてみると「狗尾草(エノコログサ)」。短い花尾を子犬の尾に見立ててつけられた名前らしい。犬ころ草ともいうらしい。恥ずかしながら私は、この草の名前は、「猫じゃらし」と、小さいときから思っていた。家で飼っていた猫の鼻先で回して遊んでいた。

先日、品川駅の構内にある書店で、まとめ買いをしてしまった本を読み始めた。角川新書「家族遺棄社会」孤立、無縁、放置の果てに。親を捨てたい子、子を見限る社会。孤立・孤独者1000万人。一人ひとりの身の上に襲い掛かろうしている「家族遺棄社会」の真実と、そんな日本社会に懸命に向き合う人々の物語だ。

成年後見制度がスタートしてから約20年過ぎた。私が区役所の高齢者福祉課からの要請で、東京家庭裁判所の審判をへて成年後見人になったケースはすべて孤立していた70代の男性だった。なかには家族もいたが、家族に連絡しても「連絡はしないでください、死んでも連絡はいりません」。と、攣れない言葉だった。

本を読み始めて、十数年前の記憶がよみがえってきた。「子供に捨てられた親」に私は出会っていた。その時は、「なんで、私が縁もゆかりのない人の世話をしなければならないんだろう、ついてないなぁ~!」。と、ため息をついていた。が、たまたまそのおじさんが、私の亡くなった兄と同じ昭和16年生まれだった。私の長男が、「亡くなったおじちゃんだと思ってお世話したらいいじゃん」の一言で、気持ちが入れ替わった。おかげで、施設入所、病院での治療、看取り、死亡届の提出、火葬、納骨等、私なりにさせていただいた。最初は「いやだな~」、と始めた仕事だが、やり終えたときは、「よかった!」。

昔、亡くなった母が言っていた。「歳はとってみるものだね、暗いところも明るいところと同じように好きになれる」。あの被後見人を父親にもった子どもたちの想いを、暗いままで受け止めることができるようになったような気がする。もしかして、私の父親が被後見人のような父親だったら、、」歳とともに心の形や広がりが変わってきている。

本の第5章では、「家族遺棄社会と戦う人々」が紹介されている。若い人たちが頑張っている姿に、「私もまだまだやれるかも」。それには、健康でいなければ、、明日も五反田まで歩こう。

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