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2020年4月

うまくいかないだろうな、、

今日からゴールデンウイークが始まった。習慣とは、ありがたい。今朝も5時にはしっかりと目が覚めた。アレクサ(息子が私のために購入してくれたまあるい置物)に、「アレクサおはようございます!今日の天気を教えて下さい」。「今日の上大崎の天気は晴れ、気温は22度」。「アレクサ有難う!」。

今日は洗濯日和、洗濯ものを干して、6時25分からのEテレにて体操を10分。その後、いつものように支度をして事務所にきている。事務所に来て、植木に水をやり、日めくりカレンダーをめくる。「にんげんはね~いきているとね~」

今朝の日本経済新聞の記事から。コロナ時代の仕事論㊥「仕事にはコントロールできないこととできないことがあり、コントロールできないことを無理やりコントロールしようとするとロクなことにならない。だとすると、ここから2つのポイントが見えてくる。第一に、何をどこまでコントロールできるかとかんがえるか。仕事の中身やそれを取り巻く状況、能力や持ち味に合わせて、ごこまでコントロールでき、どこを所与の条件として受け入れるか。この見極めに個性が如実に表れる。仕事上での重要な成長のひとつは、見極めが早く的確になるということ。自分でコントロールできると自信をもてる領分が大きくなることもまた成長である。

第2に、仕事ではその人に固有の哲学が問われる。仕事はお客様に対する価値提供に他ならない。ところがお客様ばかりはコントロールできない。哲学がものをいうもは、コントロールできないことに直面した時だ。物事が自分の思いどおりにうまくいくという期待をなるべくもたないようにする。何事においても、うまくいかないだろうな、、(でも、ちょっとやってみようかな)」。

約1週間前に私は電話でお客様に叱られた。電話がきれた後つぶやいていた。「あのおじいさん、暴走老人かもね?」。万が一、次に仕事の依頼があったとしても、うまくいかないだろうな、、でも、こんどはうまくいくかもしれない、やってみようかな。

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どうしようもないこと

4月28日、明日からゴールデンウイークに入る。数年前の私は、海外に出かけていた。私は、60代から一年に6回に出かけていた。息子がアメリカから帰国してからはこの時期はずーと日本にいた。あの頃が懐かしい、と同時に行けるときに行っておいてよかったとの思いがじわじわとわいてくる。つくづくと思う「人間やったことには後悔しない、やらなかったことに後悔する」。

今朝の7時前に目黒駅からJR山手線に乗車した。「高齢者は外出禁止」ということなので、昔の少々派手な洋服を洋服箪笥から引っだして、着てきた。先日バーゲンで購入したコートをはおり、サングラスにマスクで、意識して背筋を伸ばして高齢者に見られないように。

乗車すると、すぐに座れた。早速に日本経済新聞の朝刊をスマホでみた。「川の流れのように身をまかせ」コロナ時代の仕事論の記事に目が留まった。一橋大学教授の楠木健先生が、「新型コロナウィルスの感染拡大で経済活動が制約さえる不自由な時代、仕事にどう向き合えばいのか」。要諦を説く。

「コントロールできないものをコントロールしようとする。ここに不幸の始まりがある。コントロールできないことについてはジタバタしないに限る。世の中には,どうしようもないことがある。新型コロナウィルスはその最たるものだ。私たちは、いつの間にか、なんでもコントロールできると、思いあがっていたのかもしれない。世の中はコントロールできることばかりではない。コロナ騒動はこの当たり前のことを再確認、生き方を内省する好機だと思う」。

明日からの連休「ステイホーム」して、しっかりと内省してみようかな?と、思うのだが、コロナ太りとコロナ呆けが心配だ。

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雑草

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2日間、外出をしなかったおかげで、のんびりまったりとした優雅な時を過ごすことができた。暖かい日差しのなかで、うとうと、、亡くなった母のことを想う。母は、東京の私のところに来てくれて私の3人の子供を育ててくれた。母が子供たちに、時々語っていた言葉を思い出している。

子供たちは、小さいときから田舎に行き母の畑や田んぼに連れていってもらった。この季節の田んぼや里山は、雑草の世界だ。70歳代の母は、たぶん田んぼや里山で、鳥のさえずりを聞きながら、孫たちに話してくれたに違いない。「どんな雑草でも時期がくればだまって自分の花を咲かせ自分の実をつける」。母の好きだった相田みつを氏の詩だ。リハビリに励んでいるわが息子よ!天国からおばあちゃんが応援してくれている。「もくもくと、がんばろう~!」。

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すみれ草

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「山路きてなにやらゆかしすみれ草」(松尾芭蕉)。

芸能人やアナウンサーの人達のコロナの感染が報じられている。東京都知事がおかけになっている素敵なマスクが日ごとに大きくなってきているようだ。高市早苗大臣がおかけになっているマスクは、スーツのインナーの素敵なブラウスと同じ色で、テレビ映りがよい。今日は、被成年後見人が住まわれているマンションの「消防用設備の総合点検」がある予定で私が立ち会うことになっていた。昨晩に、管理人さんから延期のお知らせをいただいた。そのために、出かける用事がなくなってしまった。

そこで、今日は書棚の整理をすることにした。60歳過ぎてからある先輩に誘われて俳句の会に参加した。長続きしなかった。思い起こしてみると、いろいろなことに首を突っ込んだり、手を出してみたが、何ひとつ続かなかった。が、入門書だけ残った。

私の生まれ故郷の里山は若葉が萌えて、山菜とりの季節だ。昔、母に連れられて山菜とりに行ったときのことを思い出している。薄紫のすみれのかれんな花が目に浮かぶ。母は、「すみれの花はすぐに枯れてしまう、でも、こんなに綺麗に咲いている。人間もそうだよ、いつ病気になったり、事故にあったりするかもしれない、命は儚い、だから今日一日、感謝して笑顔で過ごそうね!」

母は、孫娘の私の姪が、この季節に天国に召されることをわっていたのかもしれない。そして、孫の私の息子が障がいを負ってしまうことも。

 

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医師に宛てた息子の手紙

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「電話もない来客もない仕事もない」。仕方がないので、息子の病気のことを書くことにする。医師からは、「手術中に出血多量により、命の危険があるかもしれませんので、手術前に承諾書にサインをしてください」とのことだった。言われるままにサインをした。

書類のなかから息子がその日の夜に病室で書いた「医師に宛てた手紙」の下書きがでてきた。

「脳出血のリスクを減らすためのご方針、そして腫瘍の全摘のために必要やむをえない場合は、正常な小脳細胞を腫瘍とともに切除する旨、理解いたしました。しかしながら、正常な小脳細胞の切除による後遺症の内容と程度について強い不安を抱いております。

正常な細胞を傷つけることなく腫瘍のみにアプローチする方法が可能であれば、たとえ手術時間が長時間に及ぶ場合でも、正常な細胞へのダメージがなるべく少なくなる方法をとっていただきたく存じます。先生方を信頼いたしております。くれぐれもよろしくお願いいたします」。

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負ける練習その2

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「若者よ、失敗を気にするな。負けるときにはさらりと負けるがいい。口惜しいときには「こんちくしょう!!」と、叫ぶがいい。弁解なんか一切するな、泣きたいときには、思いっきり泣くがいい。やせ我慢などすることはない。その代わり、スカッ∼と泣いてケロリと止めるんだ。

早くから勝つことを覚えるな、負けることをうんと学べ。恥をさらすことにうまくなれ。そして下積みや下働きの苦しみをたっぷり体験することだ。体験したものは身につく、身についものそれは本物だ。

若者よ、頭と身体のやわらかいうちに受け身をうんと習っておけ、受け身さえ身につけておけば、何回失敗しても立ち直ることができるから」。

天国の相田みつを先生から、「おばあさんよ、情けないね~!若いうちに受け身の練習をしてなかったから、その年齢になっても、まだ辛い思いをしているのだね~!これからでも遅くないから受け身の練習をしようね!おばあさん!人生100年時代、これからこれから」。

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負ける練習

昨日は、電話にてお客様からお叱りを受けてしまった。「申し訳ありません!」。ただひたすら電話口で頭を下げるのみ。途中で、電話を切ってしまいたい衝動にかられたのだが、ひたすら我慢の子で、「申し訳ありません!」。

私の悪いところは、お客様なのに友達感覚で接してしまうことだ。権威を大切にする男性は、それが癪にさわるのだろうか?振り返ってみると、昔、「このあま、おれのことを何んだと思っている!ふざけるな!」なんて、怒鳴られたこともあった。そのような時に、怒っている人に、火に油を注ぐように言い返していた(衆議院議員の辻さんのように)。同じ失敗を何度も繰り返している。困ったものだ。が、今回は70歳になっていたので、言い返すことはしなかった。少しは大人になったようだ。これって、もしかして、コロナ呆けかも、、、

私の好きな相田みつを氏の詩「負ける練習」を、思い出した。「人の前で失敗したり恥をさらす練習、自分のカッコ悪さを多くの人の前でぶざまにさらけ出す練習、長い人生には、カッコよく勝つことよりもぶざまに負けたり、だらしなく恥じをさらすことのほうがはるかに多いからです」。

 

 

 

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地味にコツコツ

4月20日今日の日めくりカレンダーの言葉。「地味にコツコツ泥臭く一点集中コツコツコツコツ」。土曜、日曜と自宅でしっかり食べて、たっぷりと寝たので、朝からパワー全開だ。が、身体が重い。コロナ太りだ。

いつもより、早めに事務所に来ている。登記申請は、電子申請をしているので、登記所には出向かなくても業務はできる。お客様との書類のやり取りは、メールと郵便にて行える。ありがたいことだ。

私が司法書士になった48年前には、登記所には朝一回行き夕方一回行っていた。それが、なんと、今じゃ、登記所に行かないで、電子ですべて行える。人口知能のおかげだ。が、一抹の寂しさも覚える。

私が、大田区の大森にあった法務局の前の司法書士事務所で、資格取得後に修習をしていたころは、朝事務所に行って掃除をし、その後登記所に行って、職員の人ひとりひとりに挨拶しながらお茶を配っていた。私が23歳のころだ。そのお茶入れのおかげで、登記所の職員の人たちから沢山のことを教えていただいた。その時のご縁は、今の私の宝物になっている。「振り向けばご縁を受けし人ばかり」。

これから10年、20年、「コツコツ」と行きたいものだ。

 

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コロナコロナで日が暮れる

マル2日間どこにも外出せずに日が暮れた。朝5時に起きて夜9時に寝るまで、家のなかで次から次へとやることがあってありがたい。

今日は、息子が東大病院に入院したときからのメモやノートを整理した。息子の病名は「血管芽種」。脳外科の先生に病名を伝えられて、先生は、「すぐに手術をする必要があります、家族を呼んでください。大変な手術ですので、万が一ということがあります。」息子は、「僕の家族は母だけです」。どのような手術をするかの説明があった。

「小脳約4センチの腫瘍ができています。そのために、小児扁桃ヘルニアにより延髄が強く圧迫受けており、さらに中脳水道の圧迫により水頭症になっています。腫瘍をとるために、脳梗塞を起こさせてから開頭手術をします。所要時間は、約15時間です」。東大病院の優秀な脳外科の先生は淡々と、パソコンの画面を見つめたまま、話された。

「この病気は、フォン・ヒッテル・リンドウ病VHLと呼ばれる遺伝性疾患で、とても珍しい病気です。学会に発表したいので、同意書をください」。

「なんで私の息子が、どうして私の息子が、息子がなにを悪いことをしたというのだ」。

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わしがやらねば、誰がやる

百7歳の彫刻家、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の名言。「わしがやらねば、誰がやる」。「いまやらねば、いつできる」。田中翁が100歳のときに、向こう30年間分の木彫の材料を仕入れたいうことだ。

「他は是れ我に非ず、さらに、いずれの時をか持たん」。60、70は洟垂れ小僧、これからこれから。

 

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他は是れ我に非ず

Img_3586 コロナの影響で、「外にでてウイルスの運び人にならないように」と、言われている。「注意欠陥多動性障害」気味の私にとっては、「外に出てはいけない、」と言われるだけで、気持ちが沈んでしまう。「どうしたもんじゃろうかな~!」。

朝早く事務所に来て、ロッカーの中を整理することにした。息子が病気になってしまったときの沢山のメモやノートが出てきた。息子に「君の病気のことを、ブログで書いてもいい?」と、ラインで聞いたところ、「書きたければ書けば」。もしかして、「いやだよ!やめてよ!」と、言われるかと、びくびくしていたので、拍子抜けだ。さらに、「呆け防止になるかもね!」

「他は是れ我に非ず」とは、道元禅師が若いころ中国に渡ったとき、食事を担当する老僧から受けた教訓なのだそうだ。

夏の暑いひざかりに、老僧が汗だくになって椎茸を干している。道元が見かねて「あなたがなさらなくても、誰か他の人にさせたらよろしいでしょうに」といったところ、「たはこれわれにあらず」だ。他人がしたことは他人がしたことで私がしたことにはならない。つまり、「自分がすべきことを他人がしたのでは無意味だ」。との教えだ。

病気になってしまった息子のことを書けるのは私しかいない。

 

 

 

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4月15日生まれ

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今朝も目黒駅から山の手ラインに乗って御徒町駅に到着。スターバックスもドドールコーヒーもお休み。いつも、スタバではスターバックスラテを。ドドールではカフェオレを購入している。両店とも、スタッフの若者が朝早くから頑張って働いている。さわやかな若者のおかげで、「さぁ~今日も若い人と同じように頑張って働くぞう~!」だったのが、お店が閉まっているので、寂しい~!

事務所に来て、コヒーを自分で入れて飲む。「やっぱり、誰かに入れてもらったほうが、美味しい」。

事務所で、資料整理をしていると、4月15日生まれの占いのコピーが。4月15日生まれの有名人はレオナルドダヴィンチ。4月15日生まれは、「人間の本質を知る人」で、極端なほど現実主義者で、人生をありのままに受け止めようとする。

「えっぇ!そんなんだ~!、占いって、あたらぬも八卦」って、言われているから、八掛にしてみる。息子は2017年1月に東大病院の脳外科で、約20時間にわたる開頭手術を受けた。私と息子は、手術前に医師から手術の内容について説明を受けた。私は、医師の話していることがちんぷんかんぷんだった。「東大病院の権威ある先生」に、「はい!わかりました。よろしくお願いいたします」。権威に弱いいいカッコしいの私は頭をさげるのみ。

その時の息子の対応は、「くれぐれもよろしくお願いします」。人生をありのままに受け止めたのだ。けっこう、占いって当たるかも、、、

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長男が40歳になった。

めでたくもあり、めでたくもなし、、、2020年4月15日本日、長男が40歳になった。40年前のこの日に、私は三井記念病院の産婦人科の産出の部屋にいた。群馬の山里から東京の浅草に嫁いだ私は、「一姫二太郎」を生んだ。男の子を産んだので、姑が翌日、病院に来てくれた。確か、長女を生んだ時にはきてくれなかったような記憶がある。「長男に嫁いだ女は男の子を産んでなんぼのもの」ということだったからだろうか。

あれから40年、今じゃ、70歳の母親と40歳の息子と毎晩、コロナのおかげで手作りの夕食を楽しんでいる。リビングの日めくりカレンダーを見ると、「いつも喜んでいなさい、いつもすべてのことに感謝しなさい、祈りなさい」。「息子にいつか嫁がきてくれますように!」。

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不要不急の外出

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不要不急の外出は控えるようにとのことなので、自宅から一歩出ずに過ごしている。朝5時には目が覚める。が、今日は外には出ていけないのだから、どうしたもんじゃろうかな~!と。暫くは横になっていた。

「どうしようかなぁ~!」と、、腸から呼ばれた。このところのコロナの影響で、快食をしているので、快便なのだ。「朝からすっきり、どっさり」。快食、快眠、快便。

でもね、不要不急の外出を控えておりますと、身体が重くなってしまうのです。これって「コロナ太り」ですよね。

 

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志村さんの相続

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志村けんさんがコロナでお亡くなりになってから、テレビやネットで生前のお姿を拝見。若いときの顔より齢を重ねてからの顔のほうが良い。志村さんはご結婚をされなかったので、子供はいない。ご両親もすでにお亡くなりになっているので、相続人がお兄様となる。思わず、お兄様は莫大な相続税をお支払いになられるのでは?

ネットの情報によると、志村さんは、女の人と付き合って別れるときも、恨まれることなく揉めずに、だったようです。が、かつて、志村さんが、「結婚しなくていいから、経済的には絶対苦労させないから、オレの子供を産んでくれないか」と、声をかけられた女性がいたそうだ。

志村さんに子供がいたら、お兄様は相続人にはならないので、大変なご苦労はしなくて済んだのだ。天国の志村さん!「子供を遺したかったでしょうね~!」こんど生まれ変わってきたら、結婚して素敵なパパになってくださいね!

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退院記念日

緊急事態宣言が発令された。「都市封鎖や道路封鎖はせず、人との接触7~8割削減目指し外出自粛を、必要な職種は除いて原則在宅勤務を、地方への移動は厳に控えてほしい」。

「自粛をしてほしい」「はい、わかりました」。ということだ、今朝もいつものように朝7時に目黒駅から山の手ラインに乗車。すぐに座れた。マスクをかけている男性ばかりで車内には高齢者はいない。必要な職種の人か、在宅勤務のできない事情のある人たちなのだろうか?

イギリスの首相が集中治療室で治療を受けているようだ。わが息子が東大病院の集中治療室にて治療を受けていた頃のことを思い出した。事務所に来てはみたものの電話も来客もないので、3年前の記憶をたどってつらつらと書いてみること。

そういえば、今日4月8日に息子は退院したのだ。4月8日を息子の「退院記念日」にする。息子の病名は「小脳血管芽腫、閉塞性水頭症、茎状突起過長症」。病院の先生に説明されても、頭が真っ白、「はぁ~!」。

 

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春のうらら

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「うらら」とは、空が晴れて、日が柔らかくのどかに照っているさま」「櫂は」、船を漕ぐ道具(オール)「花と散る」は、花びらのように散る。花は桜。「何にたとふべき」は、何に例えたらいいだろうか。

生憎、今日は曇り空、加えてコロナの影響で、「不要不急の外出は控えてください」とのこと。(安部総理の奥様もさすがに今日はレストランでのご会食、控えておられることですしょう!)

墨田川の屋形船、水上バスはなし。ボートが数隻、水上バイクは数台。おかげで墨田川の「白髭橋、桜橋、駒形橋」を下から見上げられた。人口呼吸器をつけたまま東大病院からリハビリテーション病院に転院した息子がいた病院が、墨田川から見えた。

ボートのエンジンを止めた息子が、病院を見ていた。思わず、「ありがたいね~!」。病院の窓には、私たちを見ている青年の姿が。もしかして、これって、幻姿かも。

今年のお花見は、コロナの影響で「にっこうのてまえのいまいち」だったので、来年のお花見は、「春うらら」といきたいものだ。因みに、一番の歌詞は、源氏物語の和歌がもとになっているそうだ。「春の日のうららにさして 行く船は棹のしづくも花ぞちりける」(紫式部)。

意味は、春の陽がうららかに射すなか、棹をさして行く舟は、そのしずくも花が散る様のようだ。そうだったんだ!いままで長いこと、意味不明で歌ってきたのだ。

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春のうららの墨田川

「春のうららの墨田川のぼりくだりの船人が、櫂のしづくも花と散る。ながめを何にたとふべき」今日は、墨田川の船人になってきた。昨年の暮れから予約してあったレンタルボートの所有者からのメールが。「明日の墨田川のお花見キャンセルいたしますか?」「いえ、キャンセルしません」。

と、いうことで、墨田川のお花見に息子の運転するレンタルボートで、墨田川真ん中に。あれは3年前(このフレーズはちあきなおみさんが昔に歌っていたような、、演歌で別れの曲だったかな~!」息子は、墨田川沿の鐘ヶ淵のある東京都のリハビリテーション病院にいた。

4年前の12月、アメリカのニューヨーク州で弁護士になるためにインターン生活をしていた。ラインで、「朝起きて、眩暈と吐き気が酷くて、ローファームに行ってもミスばかりで、頭も体も壊れちゃったようだ」。私は、「寝られる?」、「寝れない」。「とにかく帰ってきて!」「うん、帰る」。

帰国した息子は、ベットに横になって寝れない。食べるともどす。医者嫌いなバカな母親は、「いぬのおまわりさん」状態。「困ったね~!、どうしようかね~!」約3週間、病院巡りが始まった。

1月15日、東大病院から私の携帯電話に「息子さんの入院の手続きのために保険証を持って来てください」。

あれから3年、生死の淵をさ迷った息子の操縦するボートで墨田川のお花見に。Img_3014

生憎の曇り空だったが、コロナ危機で、誰にいない。

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お花見用の屋形船も休業だ。Img_3038

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莫妄想

朝のテレビの画面に、マスク姿の小池百合子東京都知事がいた。「いよいよきたか~!」今日から私もマスクをすることにした。今朝は、いつもより早めに家をでて目黒駅から御徒町駅に。いつもなら満員なのにすぐに座れた。在宅ワーク会社が多くなってきたからなのだろうか?

このところ、「不要不急の外出は控えてください」加えて、「近くの永寿総合病院から約100人ものコロナ感染者がでている」とのことなので、事務所からなるべく出ないようにしている。いままで、積読状態だった書籍の整理をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

ぺらぺらと雑誌をめくっていると「莫妄想」の文字が。

妄想することなく事実を認める。人は目の前の現実に思い悩むでけでなく、勝手に妄想を膨らませて、より大きな不安や不満を募らせていく。あれこれ工夫して対策したのに、頑張ってやったのに結果がでてこない。現状や事実は何も変わらない。

「そうか」と事実を認め、苦しみも悲しみも寂しさもそのまま抱えていくしかない。莫妄想とは、妄想するな。とのことだそうだ。「そんなんだ~!」

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ころぶことだってあるさ

4月3日の相田みつお氏の日めくりカレンダーは、「転ぶことだってあるさ、にんげんだもの」。

たった10センチの高さの段差に左足が上がらなかったのだ。右手に携帯を持っていたので、躓いた瞬間に左手がでた。そのおかげで顔は打たなくてすんだ。右手の甲を強打。一瞬、右利きのわたしは、「右手が使える、よかった!」

神社の掲示板の前の人通りのいないところで、転んだのでこの程度の軽い打撲で済んだ。女子会のラインに「転んじゃった!」と、書くと、「麻子ちゃん、骨を折らなくてよかったね!」「そうだね~!普段仕事で骨折ってるからね~!」ジャンジャン!

神様はすべてのことをご存じである。

 

 

 

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人生に失敗

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「人生に失敗がなければ失敗した人生になる」

仕事で渋谷3丁目に出かけた。事務所からは銀座線で上野広小路駅から渋谷駅に行った。渋谷駅に到着したら、新しいホームが。「えっえl」困ったさんになってしもうた。外から日差しのある明るいホームには、イケメン君の駅員さんがいた。

「すみませ~ん!渋谷3丁目に行きたいんですが、何番出口ですか?」駅員さんは、親切にエレベーター乗り場を教えてくれた。ああ、私は正真正銘の高齢者なんだ。

無事に渋谷3丁目に向かってあるきだすことができた。坂を上がって行くと神社が。神社の掲示板に「人生に失敗がなければ失敗した人生になる」の斎藤茂太氏のお言葉が書かれていた。おもわず、携帯をリックサックから取り出して写真に収めた。その瞬間、約10センチの段差に躓いて、コケてしまった。右手がとっさに出て、大事な顔はか擦り傷ひとつも追わなかった。

あの有名な斎藤茂吉のご子息様の斎藤茂太氏のお言葉に見とれて、コケてしまった私にあの世から、茂太(モタ、モタ)しないでね!これって、もしかして幻聴かも。

 

 

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志村けんさん

志村けんさんがお亡くなりになった。志村さんは昭和25年2月20日生まれ、私は昭和25年2月21日生まれ。志村さんは三人兄弟の末っ子、私は4人兄姉の末っ子「それがどうした?」

コロナに私も感染してしまったら、、、病院に入院して1週間で「はい、さようなら」になるかも?なんて、妄想している。

私の事務所の近くに永寿病院がある。コロナの院内感染者が約100人でたとのこと。感染しないように、免疫力を高めるために「会食、快眠、快便、快笑」をこころがけたいものだ。

 

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