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2019年10月

小勉強会

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この度ご縁をいただいて、小勉強会の講師をさせていただくことになった。お喋りは得意なのだが、ひと様の前で話すのは苦手だ。「成年後見人として体験したことを話してください!」と、終末期を考える市民の会高木会長の素敵な笑顔の、お誘いに「はい!」と。

パンフレットが出来上がって、誤字に気がついた!「あっ!またやっちゃった!」勉強会の冒頭で、誤字探しをしてもらおう~!自分の最後をどのように迎えたいですか?いざという時誰になにをお願いしておきますか?

まだ、勉強会まで1か月もある。まずは、体力づくりから始めよう!?!?

 

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孫娘が14歳になった。

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10月12日孫娘が14歳になった。体重、身長、足の長さは追い越された。14歳、反抗期真っただ中だ。先日娘からのラインで、「ママ!ソフィアが私のいうことを全然聞かない!ああいえばこいゆう」「例えば、どんなこと?」

聞いていて、思わず「あなたはもっとひどいことをママに言っていたよ!こんなことを、、、」「うっそ~~!」

親の言うことを聞く子じゃないほうがいい。親のいうことを聞くような子はたかがしれている。トランプさんを国連でにらみつけたあの少女のように、強い女の子になって欲しいものだ。

 

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母の就活

母は、私と姉に「村の年寄は、子供や嫁さんが外に昼間働きに行っている間は、家のなかでひとりで過ごすことが多いので、そんな年寄が集まって、風呂に入ったり、お茶したり、おしゃべりできる家を作りたい!」まさに、向こう岸見ているだけでは渡れない。

姉と私は、兄たちに頭を下げて、母の願いをかなえてやりたいので、協力してほしい旨を伝えた。土地はすでに母が手当てしてあった。後ろが山で前が川、道路を挟んだ隣は、市の総合グランド公園で、テニスコートが6面、陸上競技のできるグランド、野球場、プール、ついでに射的場まである。

兄たちは二人とも一級建築士だったので、あれよあれよという間に家が完成した。今でいうグループホームだ。裏の畑で栽培した野菜を使った田舎料理や手打ちのそばの昼食、風呂に入ったり、昼寝をしたりして村の年寄たちと昼間を過ごすようになった。

「かあさん!張り切りすぎないで、ほどほどにね!」と、いう私に姉は「大丈夫、かあさんはワシ(鷲)だから」「えっえぇ!」「主を待ち望むものは、新しく力を得る。鷲のように翼をひろげて上ることができる。走ってもたゆまず歩いても疲れない(聖書のイザヤ書)」なんでも本気になると面白い、疲れない。

母は10人弟妹の長女として生まれた。私の祖父は、男の子が生まれると信じて「鷲太郎」という名前を用意していた。が、生まれたのは、女の子。仕方なく「ワシ」とつけたんだそうだ。母は、「ワシという名前が嫌だった!」

私の5歳年上の姉が、母の新居に東京から足しげく通ってくれた。姉は、敬虔なクリスチャンなので、母に大活字の聖書をプレゼントしてくれた。母の家に行ったときは、毎朝お祈りをして、聖書を読む、という日々を過ごしてくれた。

ある日、母が姉に、「私は業が強よくて、我が強くて、、、ワシという名前のせいでは?」姉は、イザヤ書のページを開いて朗読した。「かあさん!私も麻子もかあさんが強かったから、ここから飛びたてたんだよ!」かあさん!有難う~!

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母の誕生日

今日は母の誕生日だ。大正3年10月10日生まれ、名前は柳生ワシ。私の戸籍謄本には、父柳生市太郎、母柳生ワシ届出人父と記載されている。

私は、生年月日昭和25年2月21日続柄二女。母は寅年、私も寅年生まれだ。私は、母が生存であれば御年105歳だ。私が69歳だから、105-69=36、母が36歳の時に私は生まれた。戦後の大変な時を昭和13年生まれの長兄、昭和16年生まれの次兄、昭和20年生まれの姉を育てながら、私を産んでくれた。大変だっただろうなあ~~!

母は79歳になったとき、「突然、一人暮らしがしたい!」と、言い出した。兄たち二人は、「何をいまさら一人暮らしなんだ!」私と姉は、「かあさんは、残された時間を自分らしく過ごしたい!と、思っているんだから応援する。」

姉と私は、実行しました。人は、やったことには後悔しない。やらなかったことには後悔する。

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無駄なことをいっぱいする

今朝は、電車を一駅乗り越してしまった。言い訳をすると、私と同年代の吉野彰氏が今年度のノーベル賞の受賞の記事の記事を電車のなかで読み始めてしまったからだ。上野駅まで行ってしまったので、上野公園口から上野公園を一回りして、途中でスターバックスに寄ってお茶してきた。今朝の上野公園には、ジョギングをする人、犬の散歩をする人、自由を愛する人等々、爽やかな秋を楽しんでいた。

日経新聞の記事には、インタビューに「無駄なことをいっぱいしないと新しいことは生まれてこない。自分の好奇心に基づいて新しい現象を見つけることを一生懸命にやることが必要」と強調した。とあった。思わず、「そうだよね~!」独り言がまたでた。

私なんて、無駄なことばかりやってきたからこれからなにか新しいことが生まれてくるかもしれない、、なにか新しいことがやれるかも。それにしても、言い訳、独り言、乗り過ごし、反省しなければならない。

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認知症と物忘れの違い

昨日は、事務所で仕事をしているにはもったいないようなさわやかな秋の風に誘われて、ふらふらと上野公園に出かけた。ばったりと田舎の幼馴染に会った。東京都美術館に来たとのこと。去年の10月に群馬の高崎で開かれた同窓会で会っていたので、「ひさしぶりだね~!」「いや、この間会ったじゃない!」「この間って、いつ?」「いつだっけ~!」

幼馴染だからお互いに古希だ。昔だったら、、、ほとんど死んでいる。「最近物忘れがひどくって、これっていよいよきたかな~!」「きたかもね。」「時間ある?」「あるよ!新幹線で帰れば、高崎まで50分だから、どこかで一杯やろうよ!」黄昏時に飲むビールは実に旨い。

ビールを飲みながら、こんな症状はないか聞いてみた。①物の置忘れ②何をしようとしていたか、忘れる③「あれ」「これ」が増える④同じ話を繰り返す⑤言い訳が増える⑥怒りっぽくなる⑦外出を億劫がる⑧趣味に興味がなくなる⑨落ち込みがちになる⑩身なりがだらしなくなる⑪同じものを買ってくる⑫日付と曜日がでてこない

「やばいね~!①から⑤までは大当たり、⑥は、昔より怒らなくなった。⑦から⑫まではまだセーフかな、、、、」「⑥から⑫まではいままでの生活スタイルや性格によって違うよね」

ものの本によると、年齢とともに誰でももの忘れは増えていくが、認知症との大きな違いは、体験したことの一部を忘れるのが『ど忘れ(良性の物忘れ)』。体験したことがすっぽりと抜け落ちるのが『認知症(悪性の物忘れ)』。

お昼になにを食べたか思い出せなくても、ヒントで、「お蕎麦屋さんにいったでしょう?」いわれて「せいろを食べたわね」と、思い出せれば、『ど忘れ』

「良かった!」「ところで、東京都美術館ではどの作品が素晴らしかった?」「マネの最晩年の大作が圧巻だったね~!モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーガン、モディリアーニなどのフランス近代絵画の主要作家が勢ぞろいだよ、」「⑦外出を億劫がらないからまだ認知症ではないね!」

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読みたいことを書けばいい

久しぶりに駅ビルの中にある本屋さんに行った。エスカレータを挟んで右に本屋さん、左はユニクロだ。右に行こうか左に行こうか一瞬迷ったが、右利きのせいか右のほうに。平積みになっている本を思わず手に取ってしまった。『読みたいことを書けばいい。』えっえぇ、書きたいことを書けばいい、の間違いでは?老眼鏡をかけて見直したが、間違いではなかった。

早速に購入して、読み始めた。まだ途中だが、「自分が読みたいことを書けば自分が楽しい」自分が読みたかったから、書きたかったから書く。今日から私も自分が読みたいから、読んで自分が楽しいことを書いてみようかなぁ~!

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成年後見制度その1

59歳で始めた「なんでも相談室」も10年たった。このところの相談は、成年後見人と相続、熟年離婚が多い。特に、成年後見が多い。平成12年4月に施行された成年後見制度は約20年を迎える。20年といえば、私も離婚しておひとり様になってから20年たってしまった。「10年ひと昔」という言葉がある。20年は、ふた昔になる。振り返ってみると、あっという間だった。

49歳で離婚した私に当時3人の子供たちは、「おひとり様になったんだから、やりたいことやれば!」と言ってくれた。さ~て、なにしよう~~!」同業者で仕事をしながら大学院に通っている友人に、「私も大学院に行ってみたい!」と、伝えたところ、「大学院に行くための予備校があるから紹介するね」ということで、予備校にいくことなった。予備校には、若い人も若くない人も沢山いた。1年後、なんとか私は大学院に行けることになり、研究テーマは、成年後見制度だった。

パソコンを使えなかった私は、2年後、『成年後見制度をめぐる一考察ー制度施行後3年にして見えてきたことー』修士論文をパソコンで書いて、修了した。風のたよりに「修了証書は、入学金と授業料を支払えば、誰でも貰える」。私の大好きな相田みつお氏の日めくりカレンダーに『お金がすべてではないがお金があるとべんりだな~!』そうだね~~!

業務では、約20名の成年後見人になり、10名をお看取り、葬儀、納骨等の死後のお世話をさせていただいた。成年後見制度のおかげで、貴重な体験をさせていただき、加えて報酬もいただいている。お金がたまったら、また大学院に挑戦しようかな!!

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イルカと遊ぶには?

先日、ある先輩に「向こう岸見ているだけでは渡れない」、「やりたい!と思ったら、やるべき。貴女の良いところは、やりたい、と思ったら後先考えずにやれることなんだよ!」と、言われた。「えっ、えっえ、、それって私の欠点だと、思っていた。」欠点もひっくり返せば、、、いいんだ、なんでもやっていいんだ!

「海に入らなければイルカと遊べない」。船長さんが、「これで最後です。イルカが寄ってきました、海に入ってください!」会いたさに見たさに怖さを忘れ、海に入った。来てくれました‼それもイルカ家族総出で。冥土のみやげが、またひとつ増えた。

船の上に「どっこいしょ!やっこらさ!」と、上がった。若者たちが、拍手で迎えてくれた。「もし、ここでおばあさんが海で溺れて死んだら、、大変なことになっちゃんもんね~!」水中カメラマンのお兄さんが、「こんなにイルカが寄ってきてくれたのは初めてですよ!おかげで、いい写真がとれました。」溺れそうになったおばあさんのおかげだとさ。ありがたいことだ。

 

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イルカは好奇心旺盛

イルカは、とても好奇心が旺盛のようだ。人がイルカを観察するようにイルカも人を観察しようとして寄ってくるのだとのこと。今回私に寄ってきてくれたイルカ、おばあちゃんか孫のイルカかもしれない。

海のなかでは、事前に受けた講習で習ったことはすべてすっ飛んでいた。手も足も出ない状態でだった。船長さんが、「船に上がってください!」と、いう声はこ聞こえるのだが、、、身体も心臓も硬直、ここで死ぬわけにはいかない。船が私に寄ってきてくれて、船の上によじ登ることができた。

イルカに会えたご褒美は、極度の筋肉痛だった。

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イルカはいた!

70歳にして、初めて海に50センチぐらい潜った!「いずれそのうち死ぬんだから、、」船長さんが、「救命具を用意していますし、それにウエットスーツを着ているんですから、溺れて死ぬようなことはありません!」そんなんだぁ~‼船長さん「救命マットを持って海に入ってください。」「はい!有難うございます」なんてったって、船の上では船長さんが一番えらいのだ。そういえば、亡くなった母が、「車に乗ったら、運転手さんまかせ、船にのったら船長さんまかせ」人の言うことを素直に聞くようにと、言っていたことを思い出した。

救命マットを抱えて、海にプカプカ浮いていると、なんとなんと、私のところにイルカがきてくれた。それも、イルカ一族が。救命マット胸から右手に持ち替えて、顔を海の下に向けるとイルカの親子が私の横に。「えっ、えっ、ありがとう~❣」

イルカはいた!イルカは私がおばあちゃんだ、ということが分かっていたようだ。おばあちゃんになるのも捨てたもんじゃない。

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