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2016年11月

成年後見相談会

40歳になったら死のうと思っていた。

これは、桐野夏生の『ダーク』の有名な冒頭の一文だそうだ。今朝、パソコンを開いて、スペインのグラナダの娘のことを案じて、メールをしようかどうかと迷っている私の目に、長女と同じ年頃の雨宮まみ氏のブログが飛び込んできた。

40歳って、覚悟を決めたり、何かをつきつめたり、しっかりと定まった目標に向かっていく年齢、意志のある顔をもっている年代、なんだそうだ。

振り返ってみると、私が40歳のときは、仕事と3人の子供達との悪戦苦闘の日々だった。「目標、覚悟、意志」私の辞書にはそんな言葉はなかった。

「過ぎてみれば、40歳なんてまだまだ若い、悩んで迷っていいんだよ!貴女は貴女らしく過ごしてね!」娘にメールした。

さて、本題へ、昨日は、司法書士会主催の成年後見人の相談会に参加してきた。「おひとり様の老後が不安という女性、自分がなくなった後の息子のことが不安という女性、認知症になってしまった姉のことが不安という男性」等々のお悩みを抱えている相談者に対して、2人の司法書士が相談に乗った。司法書士のなかでは私が一番の高齢、その他はすべて息子達の年代だ。

成年後見制度については、若い司法書士が、丁寧に解りやすく説明してくれる。相談者達は、「ハイ!解りました。」、「ところで、先生!今、こんなことで、困っているんです、どうしたらいいんでしょうか?「どうしたもんじゃろ~ね~!」

いよいよ私の出番だ。「先生!恥ずかしいんですけど、、、」「人間長いこと生きてくれば、恥ずかしいことなんかいっぱいありますよ!」自慢ですけど、私なんて恥ずかしいことだらけで、穴を掘って埋めたいくらいですよ!」

難しい試験に合格して司法書士になった若い先生は、私の横で、困ったさんに。「あっ!またやっちゃった!」「k先生は、どう思われますか?」若い人に花を持たせなければ、、、

「先生!話を聞いてもらえて、胸のつかえがとれました。」「少しですがお力になれたようで嬉しいです」相談会に参加できてよかった。

ところで、雨宮まみ氏が15日朝に亡くなっていた。40歳で自宅で心肺停止状態で床に倒れているところを警察に発見された、とのこと。ご冥福を祈るのみだ。

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92歳のパリジェンヌその2

なぜ今、尊厳死!?

フランスでは、尊厳死は誰かを死なせるために手助けすることを含めて禁じられている。キリスト教のカトリックは尊厳死に反対、プロテスタントもカトリックほどではないにしても反対している。因みにスイス、ドイツ、ベルギー、オランダの周辺国では認められている。

そもそも尊厳死とは、過剰な医療を避け、尊厳をもって迎える自然な死。医療技術の進歩により重症患者でも栄養補給で痛みを管理できるようになり、疾病によって死にいたる過程を人工的に引き延ばせるようになったことを受けて議論されるようになった。

超高齢社会の昨今、どのように生きたら尊厳死を迎えことができるのだろうか?

尊厳をもって迎える死、ならば今ここで、尊厳をもって生きていなければむかえられないのではないか!

この映画のミレイュ・ジョスパンは、1910年生まれ、1930年から助産師となり、86歳まで働いた。悲惨な第二次世界大戦を体験、68年の五月革命の時代に「生む権利、生まない権利」の運動に関わり、さまざまな社会運動に参加、活動の場での彼女の判断基準は、「人間の尊重」であった。

パリジェンヌの個を大切にした生き様を見習いたいものだ。

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92歳のパリジェンヌ

休日には映画を観たり、落語を聞いたりしたら

日曜日の朝、アメリカにいる息子からのメールで目が覚めた。アメリカの次期大統領にトタンプ氏が選任された。「米国は日本、韓国、サウスアラビアなどを防衛するために膨大な負担をしている。適切な対価を受けるべきだ」これから日米同盟が大きな試練をむかえるかも!?

これから、私の住んでいる日本と息子の住んでいるアメリカは、どうなるんだろうね~!どうしたもんじゃろね~!

私が腕組みして考えてもどんなるもんでもないんで、息子のアドバイスどおりに映画を観にいってきた。

銀座に行き映画を観た。「今まで本当に有難う。いい人生だった」92歳のバースディパーテイの席で、主役のマドレーヌのスピーチは感謝の言葉から始まった。だが、その後続いた宣言に家族は言葉を失う。「2か月後の10月17日には私は逝きますー」

フランスの元首相の母による実話から生まれた作品だ。86歳まで生涯の天職として助産師として働き、92歳で「尊厳死」を選択した。

日本でも橋田さんが、「私は尊厳死したい」とのメッセージを今月発売の文芸春秋にお書きになったようだ。

リラックスするつもりで、映画を観たのだが、、、また、考えてしまった。生まれて初めてできてしまった円形脱毛症がまた広がってしまっているのではと、恐る恐る耳の後ろの頭皮を触ってみた。自分では見えないので、どうしたもんじゃろか?

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紅葉の日光その2

北米風の山のレストラン

北には霧降の滝、西には日光連山が望める眺め。暖炉があるカナダ材をおしげもなく使ってつくられたカフェレストランで、木の温もりを感じながら食事をいただいた。138


舞茸のソテー。139

焼き立てのパン。141

ローストビーフ。148

飲んだり食べたりお喋りしたりと、おばさん達は忙しい。

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最後はデザートとコヒーでおしまい。グリル中心の北米スタイルのランチを美味しくいただいた。173

食事の後は、霧降の滝観漠台へ。紅葉はイマイチ。177
赤の色に出会えて、嬉しい~!191

インドから観光にきていた母娘と一緒に滝を背景に「はい!チーズ!」189

大親友のY子ちゃんは、亡くなったご主人とよく日光に一泊旅行に来ていた。私も10年前に連れてきてもらっていた。その時のことを思い出して、あの時はお互いに若かったね!今じゃ、お互いおひとりさま、旦那の分まで楽しんで、死ぬときは、「あぁ~面白かった!って死にたいね!」

Y子ちゃんと私はともに20代で司法書士事務所を開業、子供を育てながらづ~と仕事を続けてきた。「女のくせに生意気だ、男の司法書士でなければ、仕事は頼めない」と言われてきた時代を、「女のどこが悪いのよ!」と、つぱって働いてきた同志だ。

時代は変わるものだ、今じゃ「私たち女に生まれてきてよかったね!老婆になってよかったね!」老婆は一日にしてならず。














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紅葉の日光

滝おちし紅葉世界とびちりし



日光市にある霧降の滝に行ってきた。この滝は栃木県の、利根川水系の板穴川の支流・霜降川にある滝だ。



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滝名の由来は、落下する間に水が飛び散って霧のようになることとされる・因みに華厳の滝、裏見滝とともに日光三名漠のひとつ。



この日は、3ヶ月も前に女子会の名幹事のY子ちゃんが、計画してくれての旅だ。「国民休暇村に一泊して紅葉を愛でよう!」日本の温泉大好きのJ子ちゃんがドイツに帰る前に、皆で「いこう~!温泉へ!」



8時30分。J子ちゃんのマンションのロビーに集合。2台の車に。Y子ちゃんが用意してくれた阿弥陀くじで決まったおばさん達は分乗。素敵なコンシェルジェの紳士が「今夜は奥様はお泊りですね、お気をつけていってらして下さい」。思わず、「はい!後はよろしくね!」(私が、つぶやいてしまった)



渋滞渋滞の高速道路をのろのろと走ること、?時間。127_2


着いた!曇り空だ。日光の手前のいまいちだが、欲はかくまい、霧降りでなくてよかった!運転をしてくれた女子会の若いメンバーのHちゃん、Dちゃん、お疲れさま。129



Hちゃんの友人が経営しているレストラン、『山のレストラン」だ。135


オーナーが、待っていてくれた。「ようこそいらしてくださいました!」ご挨拶もそこそこに、記念撮影「はい!ばぁ~ばぁ~!」みんな若作りしているが、それなりに年輪を重ねている。



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老婆は一日にしてならず。



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山のレストランから眺めた滝。183



展望台から眺めた滝。角度によって趣も違う。










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音楽の秋

10月もあっというまに終わってしまった。

今年は、音楽の秋を楽しんだ。10月10日は、女子会のメンバーのJちゃんの銀座の王子ホールで開かれたソプラノ・リサイタルを皮切りに。10月16日は、またまた銀座の王子ホールで開かれた私の大好きな友人の高校時代の恩師の息子さんのヴァリオン、ピアノ、チェロのコンサート。そして、10月21日は、浅草公会堂での早稲田、慶応、明治3大学のビックバンドのコンサートだ。

いままでいただいたご縁のお陰で、繰り返し繰り返しコンサート会場に出向いたからなのか、恥ずかしながら音楽音痴だった私も、この年齢になって、なんとなく音や響きが頭と心に入ってくるようになった。響きといえば、かなり昔の話だが、日本のオペラ歌手の砂原美智子さんが、一人一人の声には特徴があるので聴く人の好き嫌いがありますが、どんな人でも心の響きにはひきつけられるものです。歌は心で歌うものです」といわれていたことを思い出した。

10月10日は、亡くなった母の誕生日。J子ちゃんは、私と同じ年齢、1970年代にベルリン芸術大学声楽科を卒業して、その後ヨーロッパを舞台に声楽家として活躍、しばらく演奏活動を休止していた。一昨年日本に一時帰国したときにピアニストのR先生にお声をかけていただいて、今回のリサイタルが実現したのだ。

一年間、聞きしにまさるトレーニングだったようだ。「これぞ、プロ根性」言葉はドイツ語でわからないのでけれど、モーツァルト、ヘンデル、プッチーニ、ヨハン・シュトラウス等々の歌曲を、堂々と歌ってくれた。

最後は「私を泣かせてください」。私を泣かせておいてください。この残酷な運命に、自由へ憧れてため息つくことを。我が悲しみ、苦悩の鎖を打ち砕くのはただ憐みだけ。

歌い終わった後に、J子ちゃんがホールの天井を見上げて両手を合わせた。その瞳には、一粒の涙が。

日本を離れて40年以上、あのヨーロッパで頑張って生きてきた彼女の凛とした姿に、今、スペインのグラナダで頑張っている我が娘を思い重ね、涙がとめどもなく流れてきた。亡くなった母が天国からいつも私と私の子供達を見守ってくれている。

アンコール曲は、平城山(ならやま)。ひと恋うは、悲しきものと、平城山にもとほり来つつ堪えがたかりき。いにしえも、夫(つま)に恋いつつ越えしたふ平城山の道に涙、落としぬ。ブラボ~!J子ちゃんは亡くなったご主人を、私は亡き母を。

一週間後、女子会のメンバーのK子ちゃんの半蔵門のレストランアルゴにて、「もう一度あの感動を」ということで、食事会をした。

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