« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

2016年4月

サールナートへ

四大仏蹟のひとつのサールナートへ。971

ブッタ・ガヤーで覚りを得たブッタは、バナラシの郊外のサールナートに着いたときに、かつてともに修行した5人の修行者と出会った。ブッタは、ここではじめての説法をした。これを「初転法輪」という。法輪とは教えの車輪、これを転がして説法してゆくことにより、人間を打ち砕くという意味があるんだそうだ。972
人の世は苦しみで占められている。「あなたたちは知らねばならぬ。それは、人の世は苦しみで占められている。四苦八苦といって、生苦、老苦、病苦、死苦、の四つと愛別離苦(愛する人と別離する苦しみ)、怨憎会苦(怨み憎しむ人と会う苦しみ)、求不得苦(求めるものが得られない苦しみ)そして、五盛陰苦(五体がだんだん衰えてくる苦しみ)の合わせて八つの苦しみがすべての生きものに存在していることを知らなければならない。974
若いお坊さん、若い女性達が見学976
に。
ヨガマットをもった女性達は、この遺跡でヨガをするようだ。
978_2
どこの国の人たちだろうか?お念仏を唱えている。973
今生で、シックハックを味わっているおばあさんは、この旅日記をやっと書き終えて明後日からキューバに出かける。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バラナシその7

アメリカにいる息子から電話が、「東京は大丈夫?」「今のところ、大丈夫だよ!」もし、東京に地震がきたら、私が住んでいる築65年の家は、いの一番につぶれる。熊本地震で68歳の女性が死亡した。万が一東京に地震がきたら、66歳の女性が死亡する。

いつ何が起きて死ぬかもしれない。インドの旅日記が書き終えないまま、死んでしまうかも、、、なにがなんで書き終えるぞ~!868
いよいよ、インド旅も残り一日となってしまった。朝早くおきて、ガンジス河に。この青年が、ボートをこいでくれた。886
ここは、にぎやかなダシャーシュワメード・ガート894 。朝から賑わっている。895
火葬場のガート。
902
もうひとつの火葬場ハリスシュチャンドラ・ガート。24時間営業の火葬場で焼かれて灰になって、ガンジス河に流されていく。私が地震で、がれきの下でしんでしまったら、灰になることなく廃材と一緒に廃棄物として処分させるのだろうか?死んでしまえば、どうなろうと私には関係ない。死んだ後には、何も残らない。944
落ち着いた寺院の前は、穏やかな気が流れている。946
死ぬときは、「いろいろあったけど、まぁ~私の人生こんなもんだろう!」って、潔く死にたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バラナシその6

この花散らすも雨と風、花咲かすのも雨と風、雨と風がないならば、花も咲かぬば散りもせじ(与論小唄)咲いた花も散る。人も死ぬ。

バラナシでは、火葬場通いをした。遺体を焼く風景に、「びっくりぽん」しなくなった。遺体をくるむ布の白いのは、男性。オレンジは女性だとのこと。じっ~と見ていると、同じ布でも、シンプルな布もあれば、柄入りのサテン織のような高そうな布もある。人間最後の儀式でも貧富の差がでてくるのだ。
火葬場のとなりのガートでは、954
頭を洗っている男性がいた。カメラを意識しているようだ。
922
沐浴をしている家族。929
女性達は洗濯をしている。951
別のガートでは、ホテルのシーツを洗濯して干している。朝が早かったので、少々疲れてきた。火葬場見学は終わりにしてホテルに戻る。935_2
ホテルの前の道路には露天の床屋さんが店開きしている。939
日本では、こんな光景は絶対見れない。937
インド時間がゆったりと流れている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バラナシその5

あの世へ逝く力

先日、友人から本をいただいた。「友人が書いた本なんでけど、読んでみて」。助かる見込みのない進行性の難病、突然、余命宣告を受けてから書いた本だ。
「死の告知があったので、きちんと死の準備ができたことは大変幸運でした」。あとがきに書いている。私より年齢の若い人だ。もしも、私が余命宣告を受けたら、、、、何をするだろうか?
ところで、以前のインドでは、人は、死期が近づいたと思ったらその人は家を出て、村々をめぐっていきます。村では食べ物と一夜の宿を提供してくれます。行く先々で人々の慈悲を受けながら、ついに動けなくなったら、水だけ飲んで静かな死を迎える。そして、火葬場で焼かれてガンジス河に流される。近代化したインドでは、家で静かに迎えるらしい。もちろん、延命措置などはしない。903
朝早くボートに乗って、遠くから火葬場を。「火葬場は撮影禁止」だのに、、、誘惑に負けた。また、罪を犯してしまった。900
24時間営業、ここで働くのは男性のみ。そして、牛と犬が身守っている。897
観光客がボートでやってきてぼーっと見ている。898

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現役引退

33歳の現役引退

男子水泳平泳ぎの北島康介選手が、10日現役引退の記者会見を行った。「ここまで真剣勝負をさせてもらえたことが幸せな選手生活だった。本当に悔いはない」その晴れやかな表情に、「いよいよこれから本当の人生が始まるね!」と、思わずエールを送った。
私と娘の正恵が、日本水泳連盟の上野監督と平井コーチと北島選手にあったのは、正恵がローマに留学していた頃だったから、15年前のことだ。私と上野監督のお兄ちゃんと同じ齢で、青年会議所の仲間だったことから、正恵がローマから一時帰国していた時に、「向島にフグを食べに行こう~!」と、誘っていただいた。そこに、北島康介選手がいたのだ。
上野君(青年会議所の同級生は、ちゃん、とか君とかでお互いが呼び合う)が、弟君の上野監督に紹介してくれた。「麻子ちゃんとお嬢ちゃんの正恵ちゃん!」「初めまして、阿部麻子です。今日は、お兄ちゃんから声をかけていただいて、たまたまローマから一時帰国している正恵と、フグにつられてやってきました」「正恵ちゃん、ローマにはいつ帰るの?」「明日です」「僕たち、一週間後にローマに寄ってサルディニア島でトレーニング合宿に行くんだよね」「そうなんですか、ローマに着いたら連絡下さい、ローマをご案内しますよ!」ということで、正恵は彼らとローマで再会して、ローマの休日を楽しんだようだ。
「ママ~!サルディニア島の合宿の後にバルセロナで、世界水泳大会があるんだって!」「ヘェ~、それがどうしたの?」「世界大会にきてくれ!って」「正恵が行って、なにするの?」「ごはん、作って欲しいんだって!」「ヘェ~、そうなんだ!行ってあげれば」「じゃ~そうする」
なんて軽い母と娘なんだろう。この軽さのおかげで、それからの母と娘の人生は、波瀾万丈だ。因みに、正恵はアテネのオリンピックでも選手たちのごはんを作った。
あれから15年、正恵はスペインのグラナダで、レストランのオナーシェフに。北島康介選手は、オリンピックの金メダリストに。約3か月前にスペインのグラナダで行われた高地トレーニングに北島選手が、5度目のオリンピックに挑戦するために参加した。そのとき平井コーチ率いる選手たちと北島選手が、正恵のお店(レストランテマサエ)にごはんを食べに来てくれた。
「ママ~!みんなが、美味しい美味しいっていっぱい食べてくれたよ!ソフィア(孫娘)も丁度お店に来ていたんで、皆に可愛い~!っていわれてたよ!」
改めて、出逢いに感謝。加えて、北島選手の新しい人生に「がんばれ、にっぽん!」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バラナシその4

ヒンドゥー教の四住期

四住期とは、ヒンドゥー教の独特の概念で、最終目標の解脱に向かって人生を4つの住期に分け、それぞれの段階ごとに異なる目標と義務を設定したものだそうだ。
受胎から入門式(8歳から12歳)までは、四住期には入らず、この間は一人前の人間とはなされない。
学生期は学ぶ時期、家住期は社会で仕事をし、家族を養う時期。林住期は引退して林に住み、真理について考える時期、遊行期は死ぬ準備をする時期。私は、年齢的には林住期に入っている。が、まだ仕事をしていて引退もできない私は、真理について考えることも死ぬ準備をすることもなく、ある日突然死んでしまうのだろうか?今、私がこうして生きているのは、何のためなんだろう、人は死んだらどこにいくんだろう?
717
このおじさんは、真理を学んでいるようです。林ではなく町中で、雨露を凌げる空間を作って、もくもくと本を読んでいる。745
こちらの猿君とおじいさんは、  遊行しているようです。793
この薪は、死に場所を求めて旅をしてきた教徒が、遺体焼くために集まられた。794
ここは、薪を売る店、量り売りだ。お金のある人は、大量に買い、しっかりと遺体を焼くことができる。少ししかお金のない人は、薪も少ししか買えない。だから半生のままガンジス河に流される。797
右を向いても左を向いても薪の山だ。火葬場のガードでは、24時間火葬の火が絶えることはないんだそうだ。次から次へと死者が運ばれてくる。795    
この右下が、火葬場のマニカルニカ・ガートだ。ここからは撮影禁止。火葬場が丸見えのところから火葬場を見下ろすと、布にくるまれ竹の担架に乗せられて、死者がやってくる。死者はガンジス河の水に浸され、火葬の薪のうえに乗せられると、喪主が火をつける。分刻みに、死者が運ばれてきて火葬される。荼毘に付された後の遺骨は火葬場の仕事をするカーストの人たちによってガンジス河に流される。後はなにも残らない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バラナシその3

リキシャに乗ってバラナシの町へ

歴史学者によると、バラナシの町は紀元前10世紀ごろに建設されたとのことだ。755
2人一組で、リキシャに乗ってバラナシの町に。運転手は背の高い足の長いイケメン君。754
こちらの姉妹は、世界中を巡っている旅のベテラン組。747
イケメン運転手は、車やオートバイ、牛の間をスイスイと鮮やかなハンドル捌きで進む。748_2
牛もお腹のでたおじさんもゆったりと歩いている。牛の糞と埃の匂い。これがバラナシの匂いだ。764
学校帰りの子供たちだ。765
三輪車で帰る子供達もいる。777
町には、色とりどりの洋服をきた女の子達が、楽しそうに歩いている。784
牛もきれいなおねえさん達のうしろすがたを見つめている。781
約3㎞、このお兄さんがおばさん2人を乗せて走ってくれた。「お疲れになったでしょ!」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バラナシその2

ヒンドゥー教の巡礼地バラナシ

ヒンドゥー教は、バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら徐々に形成されてきた多神教であり、教徒の数はインド国内で、8.3億人、その他の国を合わせると9億人とされる。キリスト教、イスラム教に続いて、人口の上で、世界第3番目の宗教だそうだ。
バラナシは、ヒンドゥー教徒の世界の中心で、崇高な巡礼地、そして信仰の小宇宙の中心地として、インド各地だけでなく世界中から人々が集まってきている。723
彼女たちは、スペインから来たとのこと。731    
女性の2人ずれが多いようだ。733
沐浴して罪と穢れを洗い流したのだろうか?729    
母親が、息子を連れてきて、なにか占ってもらっているようだ。735
このおじさんは、じぃ~と物思いにふけっている。ガートには、いろいろな人がいる。724

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バラナシ

母なる大河と沐浴場

やっと、バラナシにきた。ここに来たのはこれで2回目だ。一回目は、下の息子が大学1年生のときに、ひとりで、東南アジアをうろついていて、帰ってきた直後だ。「インドに行くなら、なるべく早く行くといいよ」「うん、行ってくる」15年前のことだ。728
バラナシを流れるガンジス河の川岸はパビリオンや、城、寺院やテラスで高くなっており、ガートまで石段が続いている。ガートとは、岸辺から階段になって河水に没している堤のことで、沐浴する場として使われている。716
今回は、84あるガートのなかで人気のあるアッシガートの近くのホテルに泊まった。ラッキーなことに私の部屋は、屋上の上にある特別部屋だ。710
部屋の窓越には、母なる大河であるガンジス河が。ガンジス河は、天国から流れ出て人類の世俗的な罪を洗い流すと信じられている。ガンジス河は、バラナシの南端から緩やかな弧を描くように北上している。ガートには、早朝から多くの人が集まってきている。721
ヨガをする人びと719
なぜか女性が多い。727
瞑想しているおじさん。726
沐浴をする人達。ここにはグループで来る人もあれば、ひとりで来る人もいる。その誰もが、救済という強い思想に心を奪われるらしい。聖なる河に浸かることによって自分の現世の苦しみが浄化され罪が洗い清められるのだそうだ。15年前に来たときは、ボートで約4㎞を渡っただけだったので、異様な光景にただただ「びっくりほん!」2度目の今回は、沐浴して、いままで犯してしまった罪を洗い流そうと、覚悟してきたのだが、、、今回もできなかった。なぜなら、ガンガーには、火葬されずに投げ込まれた死体が流されるほか、汚物や、その他なんでも流されるので、免疫のない日本人が、沐浴したあとに、発熱や下痢で大変な目にあうことがあるようだからだ。今回ここで、罪を洗い流しても、また罪を犯すであろうから、やめることにした。次回は死ぬ前にここにきて、沐浴しよう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

認知症

認知症の妻殺害の疑い

「妻を殺してしまった」と110番があった。逮捕された夫(82歳)。「介護が苦しくて、自宅の寝室で認知症の妻の首を電気コードのようなもので絞めて殺害した疑い。(本日の夕刊)
「辛いですね~!」今、私は認知症の方達12人の成年後見人をしている。施設に入られている方、自宅にいられる方、さまざまだ。私の仕事は財産管理と身上監護なので、直接介護をすることはないが、介護する人の大変さを見ている。「その場がきなけりゃわかんねぇ、にんげんはねぇ追いつめられると弱いもんだな」(相田みつお)介護の大変さはやった人にしかわかんない。これからこのような事故がおきないように祈るのみだ。
インド人は自慢します。「俺たちはカレーをよく食べるから、上手に加齢する」ジョークではないようだ。他の国と比べると認知症の発症頻度が7割近く低いという報告があるそうだ。
カレーには、クルクミンというポリフェノールがたっぷりと含まれている。このクルクミンが、アルツハイマー型認知症の引き金となるタンパクのごみがたまるのを防いでくれるようなのだ。
昨年末に、東京家庭裁判所から審判書が届いた。アルツハイマー型認知症の女性の補助人として選任された。早速、本人宅に伺った。「えっ!こんなにしっかりしている方が認知症?、なにかの間違いでは?」と、思うくらいだ。「私は、まだ自分のことはなんでもできますよ、貴女にお願いすることはなにもありませんよ!」「そうですね、万が一困ったことがおきたら、ご連絡下さい」と、名刺を渡して「先日、私はインドに行ってきたんですが、カレーを食べると上手に加齢するそうですよ!上野に美味しいカレーやさんがありますから、今度食べにいきましょ~!」と言って帰ってきた。初期の認知症の人は、難しい。
その後、根気よく被補助人と面談して、やっと、東京家庭裁判所に初回の就任事務報告書を提出することができた。さぁ~今晩はカレーを食べにいこう~!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バラナシへ

花の雨さくらの花びら散しかな

咲くことだけを喜んではいけない、散ることだけを悲しんではいけない、すべてのものは移りゆく、移りゆくから美しいのだ。(詠み人知らず)
先日、被後見人のYさんがお世話になっている施設から電話がきた。「Yさんのトランクスを5枚買って届けてください」「はい!解りました」ところで、トランクスって、もしかしてパンツのこと?早速、近くのスーパーへ。男子ものの売り場に行った。カラフルなトランクスを見て迷ってしまった。折角買っていっても気にいってもらえなかったら、、、、待てよ、どうせ施設に行くんだから、Yさんを連れ出して、近くのスーパーで、自分の気に入った柄のトランクスを買ってもらいついでに、近くの公園でお花見をしよう。ということで、施設に出かけた。お身よりのいないYさんは、私が伺うととても喜んでくれる。なぜか私のことをお姉さんと呼ぶ。私は末っ子なので、おねえさんといわれると、なぜだかことのほか嬉しい。この日は生憎の花曇りで、雨もぱらぱら。スーパーでトタンクスを買い、回転ずしでお寿司をいただき、散り始めているさくらを見た。「おねえさん、来年も花見しようね!」「はい!」
さて、インドの続きだ。いよいよソーンプールからバラナシに向かう。約320㎞。渋滞がなければ、8から10時間の距離である。途中では693
ホウレンソウの収穫だ。692
カラフルなサリーを着た女性達がもくもくと働くところに、おじさんが監督にきているようだ。おじさんがいなければ、絵になる風景なのだ。「おじさ~ん!どいて!」
案の定、渋滞に巻き込まれた、ノロノロとしか前に進めない。加えて、選挙で当選した議員さんのお礼参りの集会に出くわしてしまったので、ますます前に進めなくなった。707
途中の町にて、インド版定食をいただく。さすがに胃も疲れてきてるようで、スプーンが進まない。
なんと、アッシガート近くのホテルに到着したのは、深夜の1時。長い長い一日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ソンプール・メーラその6

春の夜のほの白く照る花明り

昨晩は、芝公園の夜桜を楽しんできた。暗がりの公園のなかで、白に近い満開の桜は、まるで花から光がでているように優しい。古墳があった芝公園の桜の木の下には、美しい貴婦人の死体が埋まっているのかもしれない。
トイレに行きたくなったので、東京タワーへ。「びっくりぽん!」成田の空港のトイレに負ないくらい、素晴らしい。「日本のトイレって凄いよね!」518
ところで、インドのトイレは、命がけだ。ソンプール・メーラでは、トイレは土の上だ。後ろにコブラがいるかもしれない。601
コブラはいなくても、足を踏み外せば、川に落ちてしまうかも。638
まさに、トイレ休憩、「うん~ん!」605_2
「ああ~、すっきりした!」
615
川では、少女たちが食器を洗っている。608
これが、すべてのものを受け入れる聖なる川なのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »