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2016年2月

金沢へ

北陸新幹線かがやきに乗り金沢へ。

2月27日午前9時22分東京駅発のかがやき523号に乗り金沢に行ってきた。同級生のおばさん3人の旅だ。
東京、大宮、高崎、長野、富山、金沢。乗車時間約2時間18分。車窓の眺めが、あっという瞬間に消えてしまう速さだ。001
雪に覆われた田んぼ、雪をかぶったアルプス連峰が。「わっお~!」雪がまぶしい~!004_2
天気が日光の手前なので、空のいろもいまいちだ。
昔、学生の時に金沢に行ったときは、乗り換えをして何時間もかけていった。あれから40数年、今じゃたったの2時間弱。こんなに簡単にこれるんだ。日本の技術力は凄い!
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山で育ったせいか、山を見るとほっとする。
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新しい金沢駅。「金沢にくるなら、春か夏か秋か冬がいいと思います。」素敵なコピーのお出迎えを受けた。「駅を降りた人に傘を差しだす、おもてなしの心」を表現したドームは、北陸人の感性の表現か?「鼓門」は、伝統芸能に使われる太鼓をイメージしたもので、金沢の新しいシンボルとなっている。008
知恵と技に感謝!
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どこの駅だか忘れないように。金沢駅の看板をしっかり写した。010
いざ、しゅつぱ~つ!金沢観光のはじまりはじまり。

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ソーンプールへ

朝10時にムサファルプールからソンプールへ。

人間と同じように町で生活している牛を見ていると、懐かしい気持ちになってきた。もしかして私の前世は牛だったかも!?
ソーンプールへは、55㎞の道のりだ。334
学校に行く女の子達だ。パキスタンのノーベル賞を受けたマララさんのようだ。「頑張って勉強してね! 」
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働く女性は美しい。336
埃の中を列車が。338    
列車が行った後の線路も埃まみれ、右も左も埃。埃で先が見えない。341
途中で、村に立ち寄った。「まぁ~可愛い!」裸足の子供たちが寄ってきてくれた。

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4年に一度の大舞台

五輪には、自分を熱くさせてくれる何かがある。

今日は、2月20日だ。明日で私は満66歳になる。還暦前の59歳に、60歳からの第2の本番の人生を迎えるために、「新しい挑戦」として、ブログを始めたが、途中、挫折してしまった。「なんでだろう?」

でもでも、「ここでやめたら、、、やっぱりね!」何度も同じことの繰り返しだ。「もうやめようかな!」と、思っていると、「ブログ楽しみにしています」なんって、言ってもらうと、嬉しくなって、「有難うございます!頑張って書きます!」なんちゃって、

今日は土曜日、久しぶりにのんびりしている。日経新聞を整理していると、「リオ あきらめない、元王者たちの挑戦」北島、不屈の野獣、4月決戦へ、師弟再び」との記事が目に飛び込んできた。

そういえば、昨年の11月下旬に平井門下生が参集したスペインのグラナダに高地合宿したときに、北島選手と平井コーチと、星真奈美選手達が、私の娘のグラナダにある「レストランテまさえ」日本食を食べにきてくれたことを思い出した。

娘から「ママ!今日ね、お店にね、平井先生とこうちゃんとなつみちゃんと、高地合宿にきている日本の水泳選手たちが、ごはん食べにきてくれて、皆、美味しい、美味しいっていっぱい食べてくれたよ!なつみちゃんなんて、ごはんおかわりしてね、おかわりむすめって、いわれていたよ!スペイン人のお客さんも、びっくりしてたよ!」電話が。

「お店をなんとか続けられてきたおかげで、ご縁のあった人達とのご縁がつながれて行くんだからね!頑張って続けていることが、大切なんだよね、継続は力、っていうからね!」

こうちゃんと、娘のご縁は、娘がローマで料理の修行をしているときにいただいた。その後、バルセロナの世界大会、アテネ五輪のときに娘が料理人として参加した。それからかれこれ12年になる。

北島選手は今年33歳、リオ五輪に日本競泳史上初の5大会連続出場にかける、とのこと。「自分を熱くさせてくれる何かってなに?」。66歳を明日に控えて、「いつかそのうち私を熱くさせてくれるものが現れるように!」世界中の神様にお願いしてみますか!?



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ムサファルプールへ

旅は3回楽しめる。

先日、以前に旅でご一緒させていただいたAさんからメールをいただいた。「60歳過ぎてからの旅は、3回は楽しめますね!出かける前、旅行中、帰ってきた後とね、」「確かに!」
若いときの旅と違って、「すべてがゆっくり」インドへの旅日記も当然ゆっくりだ。「旅日記が書き終えなければ次の旅には出かけない」と、決めた。次の旅の予定が今のところないので、日記が書けないのだろうか?と不安になってきた。そこで、無理やり2月末に金沢の旅を入れた。ということで、今日からインドの旅日記を楽しみながら書くことに。
ムサファルプールでは、駅前にあるホテルに宿泊。一晩中にぎやかな音が聞こえている。303
道路には、ゴミと人とオートバイと、リキシャーと。304
美容と理容のお店は行列ができていた。
翌朝は、眠い目をこすりながら、ホテルの玄関を一歩でると、牛さまだ。329
駅の構内にも318
ここは、牛の天国!?319
駅の構内を悠然と牛が歩いている。この牛は、おひとりさまで、列車に飛び乗ることもあるうんだろうか?

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マンガローニ村

マンガローニ村のシヴァ神のお寺へ260

えっ!これがお寺?日本のお寺とは趣が違う。お坊さんが「やあ~いらっしゃい」

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「ギョギョ!ワッオ~!」えっ!思わず、お腹のおへそに目がいってしまった。生のお腹を見たのってもしかして生まれて初めて!?なんと、りっぱなお腹!
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お寺の中には、シヴァ神のオンパレード。264
左の壁には、本に載っているシヴァ神の絵が。因みにシヴァ神とは、聖山カイラーサで瞑想する苦行者の姿で表される破壊の神。虎の皮をまとい髪を巻き上げコブラを身に回している。乗り物はナンディーと呼ばれる乳白色の牡牛。宇宙の創造と破壊を象徴するダンスを踊るとされ、舞踏の創始者タナージャとしても有名なんだそうだ。なんと魅惑的なきらびやかな神様なんだろう!
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お腹の大きなおじいさんに呼び止められて、「ここに、座れ」「はい!」「わしの家族と一緒に写真を撮ろう」「はい!」頭がこれ以上悪くならないようにとのおまじないをかけられたようだ。帰りにガイドさんに「あべさん、特別あつかいだから献金してくださいね」「はい」日本に帰ったらご利益がありますように。276
お寺の隣の池では女の子達が洗濯をしていた。273
沐浴をしたりお喋りしたりと、少女たちはとても楽しいそうだ。
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男の子たちが寄ってきてくれた。みんな超可愛い~い286_2
イケメン君が、上手にミシンをかけていた。298
若いお母さんは、紙にミティラー画をもくもくと描いていた。働くお母さんは美しい。
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根気のいる作業だ。

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ラティ村

ラティ村を散策220

左にあるのは、牛糞の山、これが燃料になるんだそうだ。231
子供を抱いた女たちが、珍しそうに私たちを見ている。216
子供たちに「写真とってもいい?」と声をかけると、女の子は後ろを向いてしまった!恥ずかしいのだろうか。217
私の3番目の孫と同じくらいの男の子は、大きな目でじっと睨んだ。この子は、どんな大人になるんだろう!169
洗濯場では、子供たちが働いていた。249
こんなに小さな女の子が一生懸命に鍋を磨いている。日本の子供たちと大違いだ。後20年後に、この国で育った子供たちと今、日本で蝶よ花よと育てられている子供たちが同じ土俵にたったら、、、、一抹の不安が。老婆心がムクムク。229
賢そうな男の子がノートを大事に抱えていた。この子は将来は政治家かもね!

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ミティラー画

この日の午前中は、周辺の村々に残るミティラー画の見学。

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インド・ビハール州北部の南北をガンジス川とヒマラヤ山麓に囲まれた広い平原地帯は、古来ミティラー王国と呼ばれていた。この地において女性達は、3千年にわたり、母から娘へと壁画を伝承してきた。灼熱の日照り、長い雨期、洪水、地震等々自然の脅威に対して、策蜜の豊穣、夫や子供たちの幸せを祈って、ここの女性たちは、土壁や床に描き続けてきた。204
60年代後半に、故インディラ・ガンジー首相のブレーンであったププル・ジャヤカール女史が、この地域の女性の自立のために伝統壁画を紙に描くを奨励したことから、欧州諸国にも広く知れわたることになったのだそうだ。日本にも新潟県十日町市にミティラー美術館がある。201_2
この素敵なおばさま(現在86歳)のカルプリ・デヴィさん。凛として貫禄がある。ナショナルアワード賞(日本の人間国宝の手前)を受賞していて、9回も来日されているとのこと。私たち日本人を大歓迎してくれた。198
彼女のお部屋の中の壁にもミティラー画が。207
娘さんを初め親族の女性たちも画家としてご活躍しているそうだ。202
色つかいが素敵だ。288
ミティラー画の継承を後押ししているNGOの学校に行ってみると、259
なんと、木にも、ミティラー画だ。
村中を散策してカルプリさんのお宅に戻ると、彼女は、着替えて待っていてくれた。256
素敵なサリーで、「ナマステ!」私は20年経つと86歳で彼女と同じ齢になる。私も86歳になったときに彼女のように凛とした老女になりたいものだ。

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マドゥバニその3

前日は朝4時50分にデリーのホテルを出発して、マドゥバニのホテルにたどり着いたのは、夜の9時。ほとんど、機中と車中、インドでは、距離と時間は比例しない。忍耐力が身につく旅だ。

健康な体に生んで育ててくれた両親に改めて感謝!100
朝起きて、ホテルの外にでると、ゴミをあさっている黒い物体に、「インドにきたんだ!」恐る恐る近寄ってみても、うんともすんともない。124
犬のお母さんと子どもたちも、豚同様に人間には無関心。130
家族っていいな~!
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この子達、幸せそう~!来世、生まれ変われたら犬になりたいものだ。
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写真を撮っていると、お母さんが寄ってきてくれた。「私の子供を写してよ!」142_2
子だくさんのお父さんも寄ってきて「うちの家族も写して!」家族に囲まれて幸せそう~!143
若者も寄ってきた「俺たちも写して!」みんな仲良しなんだね!113
少年たちも楽しそう!ここインドでは、子供のひきこもりなんてないんだろうか?
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子供たちが、物珍しそうに近寄ってきてくれた。「一緒に写真撮ろうね!」日本のおばさん達も幸せをいただいた。

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マドゥバニその2

マハトマ・ガンジー橋をやっと渡り切った。071

渋滞で、前にも横にも行けない、じっ~と我慢の子状態。
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前に進むしかない!まさに「我慢比べ大会」。流石、インド人たちは悠然としている。
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反対側からは、「は~い!元気?」イケメン君たちが手を振ってくれている。日本では絶対にありえないことだ。因みに、日本だったら「ばあば~!あっちにいけ!」だ。
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車窓が突然、変わった。インド美人が。080_3
車を降りて、近づくとなんとなんと、そこには生まれたてのヤギが。086
これぞインド、混沌としている。

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マハトマ・ガンジー橋

1982年にできたガンジス川にかかる全長5850m

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橋の入り口には、お巡りさんが銃をもって、暇そうにしていた。思わず、「マスクしたほうがいいでないかい!」って、言いそうになってしまった。たとえ言ったとしても日本語じゃダメでしょう、ところで、英語だったらどういいんでしょうか?045
長~い橋の上を歩いていく人もいた。036
母なる川ガンジス川だ。047
やっと、橋の出口で。この橋を渡り終えるのになんと2時間もかかった。050
こっちの出口はむこうの入り口。車とオートバイがひしめきあっていた。055
サリーをきたご婦人たちは、堂々と道を渡っていた。思わず、「気をつけてね!」061
トラックの上には、男性たちが、そして、運転手さんが私をみて、「にっこり!?」065
出口には、屋台が。074
「おねーさん!ミズー、ジュース、どうだ!」。5850mの橋の旅が終わった。

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マドゥバニへ

パトナからマドゥバニまで180㎞

車、車、人、人、のろのろ運転。そのお陰で、車窓からの写真もゆっくり撮れた。008
サイクルリキシャーの車庫。016
ゴミの中に私の孫と同じ齢ぐらいの女の子が懸命のゴミをあさっている。後ろには、牛が女の子を見つめている。020
しばらく行くと、道路脇に洗濯ものが干してある。牛と犬と人と。021
レストランを出てからバスはのろのろ運転。やっと、マハトマ・ガンジー橋の入り口に。ゴミを焼く煙と排気ガスと、渋滞に我慢できなくて、歩きだした人が。024
煙が目に滲みる。028
反対車線には、インドのイケメン君たちが!「わ~お!」

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パトナへ

日バール州の州都パトナへ。

11月22日朝4時モーニングコール、眠い、眠い。ホテル出発4時50分、7時20分発の国内線に乗るためにチックインカンターへ、「飛行機は2時間遅れます」のアナウンス、「これがインド、インドに来たんだ!」日本のように定刻どおり、なんてことはないのだ!
2時間が3時間とならないで、ラッキーなことにお昼前にパトナ空港に到着。ここから専用バスにてガンジス川
係る全長5850mのマハトマ・ガンジー橋を渡ることに。ところが、空港を出発して早々、ガイドさんが、パトナからガンジス川にかかる橋で工事が行われてチキいて橋を渡るのに何時間かかるかわからないので、昼食を食べましょう~!ということで、市内のレストランにて、チキンカレー、トウモロコシカレー、、チーズカレー、ダールカレー等々カレーづくしだ。最後はチャイで、ご馳走様でした。004_2
パトナ空港、沢山の車だ。006
リクシャーは、小型オート三輪の後ろを二人掛け座席にスクータータクシーで、小回りがきくので、重宝されているのだそうだ。019_2
人力の自転車、インド美人が乗っていた。

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デリーその2

インディラー・ガーンディー国際空港に到着

前回は8月だったので、空港内むっ!としていたが、今回は11月で乾季なので、インド旅行のベストシーズン、寒い日本からきたので、温かくて過ごしやすい。入国審査後は、両替所で米ドルからインドルピーに両替。バスに乗って市内のホテルへ。
ホテルに入るためにチェックが行われていた。空港の入国審査と同じくらいの厳重さだ、前回はこんなチェックはなかったのに。客室に行くためのエレーベーターも部屋のカードがないと乗れない。カードをなくしたら大変だ。
翌日は、朝4時起床なので、早めに寝ることにしたが、眠れない。そこで、日本から持ってきた「深い河」(遠藤周作)の続きを読む。この本は1993年に発行されたから今年で、20年以上経つ。改めてもう一度読み直したのが、きっかけとなってインドへの旅となったのだ。。
「深い河、神よ、私は河を渡って集いの地に行きたい」(黒人霊歌)この言葉につられての、多くのヒンドゥー教徒たちが集まる「聖と俗が混在する年に一度の特別な期間のソンプール・メーラ」の祭りを見たさにでかけたのだ。この祭りは、ヒンドゥー歴カールティカの満月の日から1か月にわたって盛大に開かれる。そして502 インド中から集められたアジア最大の動物市も開かれる。
羊だかヤギだかよくわからない。532
これは、象だ!533
像使いのおじさんと覆面のおばあさんとで、「はい!チーズ!」どこに行ってもこの姿。493
これは、乳牛!483
姿形の良い馬の前で、白と黒のおばあさんが、冥土のみやげにと、記念写真。525_2
素敵なサリーのご婦人が目の前に。ふくよかですね!

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デリーへ

忘れないまえに
今日は2月3日節分、月日はロケットのように速く過ぎてしまう。昨年の11月末にインドから帰ってきてから約2か月過ぎてしまった。お正月は、京都、奈良で過ごしたので、2月は11日からアルジェリアに出かける予定でいたのだが、子供たちの「なんで今アルジェリアなの?まだ、死んでもらっては困るんだよね、」「日本に居たって死ぬときは死ぬんだよ」「でもさ、死ねばいいけど、拉致されたら、日本国に迷惑かけるよね、それとさ、インドの旅日記まだ書いてないよね、書いてから違う国に行けば!まだ行きたい国はいっぱいあるだろう!」老いては子に従え、ということで、アルジェリア行きはやめにした。
という訳で、忘れない前に、次の旅に出る前にインドの旅のこと書くことにする。
11月21日成田空港9時30分着、エアインディアで11時30分定刻どおりに出発。9時間50分搭乗、インド時間で、17時50分にデリーに到着(日本との時差は3時間30分)
インドの旅で必要なものは、健康な身体と好奇心のみだ。洋服は、いつものTシャツとズボン。そのほかは、帽子とマスクとスカーフとサングラスだ。どこに行くのもいつも同じだ。でも、今回は、特別に下痢止めを用意した。齢をとったからなのだろうか、少し用心深くなったようだ。
インドへの旅はこれで4回目、1回目の時に強烈な洗礼を受けた。一晩中、トイレで過ごしたのだ、「私は、こんなに腹黒だったのか?」と、思うほどだった。その時もかなり注意をして、カットされている果物は食べない、生野菜は食べない、歯磨きもペットボトルの水を使う等々かなり気を付けていただが、、、」多分15年前で、50歳の時だったので、日本で目いっぱい仕事してから出かけたので、疲れがでてしまったからだ。旅には疲れを連れていってはダメだ。
その後2回目、3回目はその時の辛い体験のお陰で、快適な旅を楽しんだ。もちろん、他の国に行ってもお腹は壊さなくなった。
「1に健康、2に健康、3,4がなくて5に健康」健康でさえあれば、どこにでも行ける。今回のインドの旅も下痢止めのお世話にはならなかった。ありがたいことだ。
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私の部屋からはホテル中庭が丸見えだ。
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ホテルとショッピングセンターが一緒の建物なのだ。

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風邪の効用

「バカは風邪を引かない」のモデルを返上

66歳を目前にして風邪を引いてしまった。市販の風邪くすりを飲んで、「早寝遅起き」をして、事務所にはなんとか休まずにでることができたのだが、いつまでたっても治らない。しかたないので、昔、子供たちがお世話になっていた小児科・内科の先生のところに行った。熱をはかると、38度、何年ぶりかでお会いした先生は、「麻子さん、珍しいですね風邪ひくなんて!そうなんですよね、風邪なんて、このところ引いたことなかったんですよ!」「とことで、麻子さん、いくつになりましたか?」「はい!65歳で、この2月には66歳になります」「65歳過ぎれば、バカになりますよ!」
熱はさがったのだが、声が、、、ハスキーなため息まじりの色っぽい唄を歌った歌手(たしか青江みなっていう名前だった)のようだ。鏡のなかの風邪を引いた我が顔は、ちょっと涙ぽっくて(まだ、すこし熱があるようなので)、色っぽい。もしかして、ほんとにバカになっちゃった!
なんとか声もでるようになった。まる10日間寄り道なしの事務所と自宅の往復の生活もそろそろ終了。風邪のお陰で、のんびり、まったりと自宅で過ごすことができた。身体に溜まっていた疲れがとれたようだ。さあ~!今晩から夜遊びにでかけよう~!不良ばあさん復活!
「どうせバカなりゃ遊ばにゃそんそん」。

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