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2013年10月

エマーム・ホメイニーの霊廟

この日は、イラン革命の指導者ホメイニー師が眠っておられる霊廟見学です。029

生憎工事中でした。この霊廟には、イラン革命の偉大なる指導者でイスラム共和国樹立の立役者ホメイニー師が眠っております。049

葬儀の日、彼の死を悼むために全国から訪れた人の数は1000万人を越えたそうです。037

この日も大勢の人達が来ていました。041

日本のお寺や神社と同じように手を洗って、清めてからお参りです。046

霊廟の中は、撮影禁止でした。入り口も女性と男性は別々、お祈りの場所ももちろん別々です。まさに「男女席を同じにせず」です。055

霊廟の周りは、クルマだらけです。家族連れの人達がほとんどでした。

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テヘラン

ドバイからテヘランヘ

現地時間7時45分にドバイ発、テヘランには9時25分に到着。「飛行機の着陸前から、スカーフをして下さい」と添乗員さんからの案内がありました。女性はスカーフを頭に巻いていないと入国させてくれません。私の前の大阪から参加した○○さんが、手荷のバックの中をごそごそと探しています。「どうしました?」、「スカーフが見つからない!どうしましょう!」私だけ入国できない、、、」「私2枚持っていますので、これ使って下さい」と少し地味目のスカーフをお貸ししました。スカーフが作ってくれたご縁のお陰で、○○さんとは旅の間、とても仲良くさせていただきました。005
最初は、バラの庭園見学です。037
残念ながら、バラの盛りを過ぎていました。が、バラのようなイラン美人がおりました。大輪のバラです。035
イランでは、1、頭髪はスカーフで隠す。2、体の線がでないゆったりとした服を着る。3、廊などを訪れるときは、「テント」という意味のおおきな布チャドルと頭からすっぽりかぶる。というきまりがあります。この国を訪れる外国人女性は、イスラムの教えにのっとって肌と髪の毛をかくさなけれがいけません。
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双子の可愛い男の子達をつれたお母さんもとっても素敵です。053
この子たち!お人形さんのようです。思わずほほずりしてだきしめたくなってしまいました。
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庭園内にある建物には、素晴らしい目をにみはるようなトルコブルーのモザイクタイルの装飾の壁があちこちにあります。
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同年代の△さんと庭園内を散歩していると、「どこからきたの?」と声をかけられました。「ジャポン」と答えると、「一緒の写真を撮って!」、「もちろん喜んで」。060
早速に国際交流です。

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ドバイ

10月10日22時成田発でアラブ首長国連邦のドバイに向かいました。搭乗時間約11時間、現地時間朝の4時15分(時差は5時間30分)ドバイに到着しました。今でこそドバイがどこにあるのか?知らない人はいません。

私が、「ドバイ」がどこにあるのか知ったのは、当時23歳だったムハンマド首長が交渉人となり、乗客、乗員は無事生還させた1973年に起きた、あの日航機のハイジャック事件でした。今年は2013年、あれから40年後に「ドバイの空港」に。私は今年63歳ということは、40年前は、23歳でした。いみじくも私とムハンマド首長は同じ年齢だったんです。
突然話が落ちます。綾小路きみまろさんです。あの頃私は若かった!あれから40年しっかりと歳をとりました。今じゃ怖いものなしです。
話を戻します。お若い方々に改めて解説いたします。
1973年7月20日23時39分(日本時間)145名の乗客乗員を乗せた日本航空北周り404便が、オランダのアムステルを離陸後、5名のハイジャッカーにより乗っ取られました。404便は彼らの強制で南に向かい、8時間後にアラブ首長国連邦のドバイ国際空港の着陸させられました。犯人グループは、パレスチナ解放戦線4名と日本赤軍派1名。そして70時間後に日航機は乗客乗員を監禁したままドバイを離陸、10時間後にリビアのベンガジ空港の離陸、機体は爆破されましたが、乗員乗客はその直前に開放されて、犠牲者が一人もでなかったのでした。
あれから40年、今や豪華なホテル、超高級リゾート地となりました。ドバイ交際空港も超豪華でした。驚いたのは、エレベーターの大きいこと!20畳位の広さです。
空港では、日本人の旅行客がたくさんおりました。ここドバイからパリや、南米に行くのだそうです。
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空港のトイレがとても素敵でした。お花の写真があちこちにありました。005
白いタイルの壁によく映えています。002_2
目がさめるような赤い花です。006_3
トイレの手洗いです。タイルも鏡も綺麗に磨かれています。001
さすがにウォッシュレットでなかったので、なぜか「ほっと」しました。

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ブッタのことば

金木犀雨にうたれて落ちにけり

昨日は、成年後見人の仕事でグループホーム、特別養護老人ホーム、病院、区役所、社会福祉協議会等に自転車でまわってきました。台東区はお寺が多いのでお寺の境内には季節の木や花がたくさんあります。金木犀のあのあま~い!香りが漂ってきます。さわやかな秋です。
さて、インドの旅日記も最終を迎えました。インドといえばブッタです。
「寒さと暑さと、飢えと渇えと、風と太陽の熱と、虻と蛇とこれらのすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め」。ブッタのことばです。
ところで、話を落とします。全てのものにうち勝つためには、体力がいります。体力をつけるためには、先ず体を造っている食べ物は必要です。これから食べ物の話です。インドには、菜食主義者が多くいます。レストランのメニューは、ベジタリアンと、ノンベジタリアンに分けてあります。
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スープもカレーもたいへんおいしく頂きました。235
タンドゥーリー・チキンです。手前にあるのは、ノンベジタリアンのためのソセージのようなものです。(名前は忘れました)237
カレーずくしです。2泊延泊のお陰で、女性5人で食べまくりでした。来年もカレーを食べにインドにいけるようにお釈迦さまに手を合わせています。
先日、整形外科医の友人に電話で、「最近左肩と左膝が時々いたくなるんで、一度みてもらいたいんだけど、いつだったらいいかな~?」、「俺が見ても治らないよ、麻子ちゃんカレー(加齢)だよ!長いこと使ってきたんだからあっちこっちが悪くなるのはあたりまえ」、
じぇ、じぇ、じぇ!

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虫時雨

虫時雨ひとり銀座でルノワール

10月に入り秋らしくなってきました。久しぶりに銀座に行き「ルノワール陽だまりの裸婦」の映画を見てきました。
舞台は、南仏の豊かな緑に包まれた紺碧のコードダジュールの海が見える素晴らしいところです。新聞によると、豊かな自然と女たちを描いて楽天的に見える画家の人生の影を丹念に描いた作品なんだそうです。
リューマチに侵され、関節の激痛に耐えながら絵筆を手に縛り付けて絵を描くルノワールの姿に、芸術家の執念を感じました。
人生には、「光と影」があるといわれています。成功した人の影の部分をみると、なぜか「ほっと」します。
「他人の不幸は蜜の味」です。心の毒の「妬み、嫉み」が私のこころから噴き出てきてしまったようです。ルノワールも人の子だったんです。まさに「人間だもの」ですね!
ルノワールの描いた花や女性達の絵を見にいきたくなりました。たまにはひとりで映画観賞もいいもんですね!

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デリーのモスク

クトゥブ・ミナールは、インド最古のモスクです。トルコ系のムスリムで、デリーに奴隷王朝を創始した将軍のアイバクが、インド北部を征服したとき(1199年)に、「神の影を東西世界に投影するために」このミナレットの建設を命じて、建てられたのだそうです。364

このクトゥブ・ミナールは、アフガニスタンのジャームをモデルにしたと云われています。イスラームの勝利を記念する「勝利の塔」です。インドで最も背の高い石造の塔です。374
壁面の彫刻は、丹念に編まれた織物のようです。たまたま、中央に鳩がいました。まさに平和の象徴のように、優雅な姿で留まっておりました。371
唐草模様や蓮華の模様は、圧巻でした。
このミナールが建設された頃、スペインのセビージャのモスクには、これより少し高い塔が建てられました。「ヒラルダの塔」です。セビージャは、私の長女の正恵が住んでいるグラナダから車で3時間のところにあります。以前娘の運転する車で行きました。夕日に写る「ヒラルダの塔」に感激したことを思い出しました。376
どちらの塔も中世初期、イスラム勢力拡大のシンボルだったんですね!モスクといえば、私の事務所(台東区東上野)の近くにモスクができました。金曜日の集団礼拝時にはムスリムの人達がきて礼拝をしています。いよいよ日本にも世界からいろいろな人達が来るようになったんです。世界は益々狭くなります。いつまでも島国ではいられなくなりました。359
ラダックで出あった素敵な女性は、ひたすらスケッチをしております。今回のラダックとデリーのスケッチ旅行の作品は、来年銀座の画廊にて展示されるそうです。今から楽しみにしています。

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たかがブログされどブログ

ブログを書き始めてから約5年経ちます。393件、掲載できました。

先日、スペインのグラナダに住んでいる長女の正恵から電話がありました。「ママ!今日ね、レストランテまさえのお店に12人も日本人がきてくれたんだよ!ママのブログを読んできてくれたんだって!」
「驚きももの木さんしょの木」状態です。嬉しいですね~!まさに「たかがブログされどブログ」です。

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クトゥブ・ミーナールその2

60歳から始めた、年に6回の海外旅行もなんと4年続きました。旅日記は、書き終わらないままで、次の旅に出てしまうために尻きれトンボ状態でした。情けない思いでおりました。そこで、今年こそと一念発起して、なんとか最後まで書いてから次の旅に出かけております。

8月の北インドの旅は、天候不順のお陰で2泊延泊となりましたので、日記に書くことも2日分増えました。
クトゥブ・ミーナールは、1993年に世界遺産に登録されました。たくさんの人達が見学にきていました。095
クルマやリクシャーが道路に。100
夏休みのために家族連れの人達です。181
お母さんも女の子もとてもお洒落です。307
チケット売り場の前です。服装もいろとりどりです。311
小さな女の子のお洋服もたくさんの色が入っています。後ろのお姉さん達もすてきな色のサリーを着ています。

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クトゥブ・ミーナール

国立博物館見学の次ぎはクトゥブ・ミーナール観光へ。340

ミナールとは、モスクの尖塔(ミナレット)のことです。この塔は、高さ725メートル、5階から成り直径は基部が14,3メートル、頂部は2、7メートルと上部に行くに従って細くなっています。下の3層は赤砂岩、上の2層は大理石と砂岩で造られています。285
世界遺産になっているミナールには、オートリクシャーで行きたかったのですが、残念ながらクルマで行きました。089
リクシャーは、小型オート三輪の後ろを二人掛けの座席にしたスクータータクシーです。このルクシャーには親子4人が乗っていました。お母さんの膝に座っている男の子の顔を見て下さい。賢そうな算数のできそうな顔をしています。算数といえば、インドの子供達は二桁の九九を瞬時に言えるんだそうです。たとえば、12×17=□□□は、即座に204と答えるそうです。幼稚園からは1から12までの数字を教えるそうです。一年は12カ月、時間は1時から12時までですしね~!そういえば干支の12ですよね~!144
ここにも算数のできそうな男の子がおりました。

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燃える秋

燃える秋、空はペルシャンブルー、ひとは夢み詩(うた)は風に消え、夏は逝きめぐる愛の季節ひとは信じ明日を生きてゆく。

五木寛之作曲、武満徹作曲の歌です。この季節になるとこの曲を口すさびます。以前から、「ペルシャンブルーってどんないろなんだろう?」と想像していました。小さな頃から青い空にあこがれていました。ブルーが大好きなんです。因みに名刺入れも手帳も手提げぶくろもブルーです。003
左の手提げぶくろは、この季節にぴったりです。トンボとうずまきです。このバックは2年前になくなった叔母の手作りです。形見に大切に使っています。005
このタオルのハンカチは、友人の小物のお店で購入しました。このタオルからは大自然の風を感じます。006
この花器は、友人からいただいたものです。この花器を見つめていると呼吸が整えられます。
10日から、ペルシャンブルーを見にペルシャ(イラン)に出かけます。

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デリーの国立博物館

芸術の秋です。ところで、なぜ秋は芸術なんでしょうかね~!秋には展覧会があちこちで開催されるからでしょうか!突然ですが、8月18日日本に帰れなかったお陰で、画家の素敵な日本女性にご一緒させていただきデリーの国立博物館に行くことができました。

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ジャンパト通りとラージバト通りの交わる場所にあります。
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立派な門です。206
お庭にはガンダーラの仏像が出迎えてくれました。015_2
この博物館には、インダス文明から、中世・近代までを20万点以上に及ぶ作品が展示されています。とても1日では見きれません。017  
インダス文明の印章、民族衣装、武具、彫刻、細密画等々教科書や歴史書でみた本物を見ることができました。 それにしても、昔のインドの女性はおっぱいがはちきれそうだったんですね~!腰もふくよかで、羨ましい限りです。
駆け足での見学でした。次回来る時のために日本に帰ったら、「世界史の教科書」でしっかりインダス文明から勉強しようと思ったのですが、、、、帰ってきて1が月以上経つのに、世界史の教科書は1ページしか進んでいません。また、挫折しています。

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レーナ・マリア

「何事にも屈しない秘訣」

昨晩は、新宿文化センターへ、スエーデンから来日しているレーナ・マリアさんのコンサートに行ってきました。彼女は、1968年スエーデンのハーポ村に生まれました。出生時から両腕がなく、左足が右足の半分しかないという原因不明の障害を負っています。高校の音楽専攻科を卒業後、シンガーソングライターとして活躍しています。
彼女の屈託のない笑顔と、伸びのある張りのある歌声に、生きる喜びと力をいただきました。
彼女のメッセージです。
「私は、自分を障害者だと思ったり、ハンディキャップに対して腹立たしく感じたり、悩んだことはありません。神様は、きっと何か特別な計画があって、私をこのように造られたのだと思います。人間にとって一番大切なのは、体の期間が健康であることよりも心が健康なことでしす。障害をもったお陰で沢山の友人ができました。コンサートを開き、海外への旅行もできました。
コップ1杯の水をこぼさずに飲めるようになるのさえ、普通の人には考えられないくらい時間がかかりました。でも、そのお陰で忍耐強くなり、いろいろな智慧も与えられました。」
彼女は、右足でクルマの運転をし、右足で包丁を持ちお料理をし、洗濯をし、、、全て普通の人と同じように一人で生活をしています。もちろんパソコンも使いこなしています。
それに引き換え、私といえば、両手両足があっても、できないことだらけです。特にパソコンが上手く使えません。このところ、年齢のせいにして練習をさぼっていました。レーナさんは
普通の人が手でやる作業をすべて右足だけでします。彼女の努力を見習って、今日から諦めかけていたことにチャレンジします。さぁ~!先ずはパソコンから。

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