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2011年5月

青空色の駅

朝はやく青空色の駅に着き

ガタンゴトンと夜行列車の狭いベットの上で、揺れる度にあの3月11日の大震災を思い出しながら乗ること7時間、リスボンのサンタ・アポローニア駅に着きました。M1120012
この駅で、日本人の男性の姿が。思わず「おはようございま~す!」聞けば、私と同じ列車でリスボンへ。

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駅をでると、目の前にど~と大きな船が。テージョ川に停泊していた客船でした。
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青空色の駅舎です。どこか懐かしい優しい感じで、ほっとしました。
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びわのみ

梅雨空に雨のやさしさびわのみの

小日向の我が家の庭にびわの実が色ついてきました。S1050001
雨が降ると、びわの実の色が艶っぽくなってきます。美味しそうな色になってきました。びわの木の下に座っている祠がびわを見守っています。
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今朝は、雨上がりの木々に「いってきま~す!」。今日も爽やかに過ごせますように!
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リスボン特急

なつかしやアランドロンにカトリーヌ

世界最高の美男美女であったアラン・ドロンとカトリーヌ・ドヌーブの初共演で、大スター2人が抱き合うラブ・シーンが売り物となった映画「リスボン特急」がありました。その映画を昔々その昔に見たときに、いつかリスボンに行くときには、列車で行く!と。いよいよそのときが。この列車に乗れば、アランドロンのようなイケメンに逢えるかも?

私の乗った列車の部屋には、可愛い美女が。
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思わず「こんばんは!」さて、ほかの乗客は、いずこに。隣の部屋から「ボンジュール!」と、アランドロンとは似ても似てないフランス野郎が、、、私には目もくれないで、女の子達に話しかけていました。
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女の子達は、アメリカ人でアイルランドの看護大学の留学生で仲良し3人娘で22歳。リックひとつでユースホステルを利用してヨーロッパを旅しているとのこと。彼女達はよく笑いよくしゃべります。狭いベットで彼女達とフランス野郎の英語を聞きながらうとうと、、、。

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はなみずき

あらかんやめざめるようなはなみずき

5月20日、半蔵門のアルゴという名のフレンチレストラン(左がイギリス大使館、前が皇居。)で、友人の結婚のお祝いがありました。あらかんのおばさんの勢ぞろいです。S1000010
さて、私はどこにいるでしょう?当日は、15時30分に元東條会館の後に建てられた10階だてのビルの10階の美容室に。そこで、髪の毛をセット、そして化粧、きものの着付け。30数年前の結婚式の時のように、しっかりと別人に。その夜はアルゴのフランスで修行したイケメンシェフの超美味しいお食事と、五月のバラの香りのような夜景を堪能。まるで卒業後?十年ぶりに開催された同窓会のように時間の経つのも忘れて盛り上がってしまいました。因みにその夜のパーティの主役の新郎、新婦はそれはそれは落ち着いて洗練されていて、10年前に娘と2人で行ったニースの町で見かけたカップルのようです。

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リスボン

五月晴れ特急列車でリスボンへ

5月1日午前9時10分グラナダ駅で、娘と孫娘に見送られてマドリードに高速列車で向かいました。車両には前の方に日本人の若者のカップル。60過ぎのイタリア人のカップル。私の前の席にはフランス人のカップルです。おひとり様は私一人でした。飛行機と同じように、車内食がでてきてスペインワインと車窓からの素晴らしい眺めを楽しみました。うとうとしていると、隣の車両から3歳位の男の子が私の席にやってきて「オラ!」。彼は食後のお散歩。私も「オラ!」「ドンデエスタママ!」とスペイン語が!見上げると彼のママがにこにこしながら話しかけてきました。なんとなく分かるのですがですが、、、そこで、「英語で話してください!」と。「シュアー!」。彼女はスペインのグラナダに生まれ、パリに留学してオーストリアの男性結婚して、ポーという町に住んでいて、言葉は、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語が話せるとのこと。そこで、日本語は?「ノー!難しすぎる」。

13時35分、マドリードのアトーチャ駅に到着。それから近郊線でチャマルティン駅に向いました。
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同じスペインでもグラナダの駅とは趣が違いました。上野駅と群馬の安中駅との違いです。
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駅からのマドリードの町並みです。都会でした。
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この列車に乗ってリスボンに。

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グラナダの夕焼け

アランブラ夕焼け小焼け雨上がり

昨年の夏、我が家の古家にスペインから若者達が数名ホームステイしていました。 216_2 私の友人の家では、友人にゆかたを着せてもらい、多摩川の花火見学。 175 彼らは日本が好きで日本語の勉強をしていてそこそこに日本語が話せます。彼らは仲間と話すときはスペイン語、私と話すときは日本語でした。今回の久ぶりのスペイン訪問では、娘と孫と話すときは、日本語、スペイン人とはなすときはスペイン語をと、昔買った指差しスペイン語の本を本棚の奥からひっぱりだして眺めていました。M1040008
彼らの家にお呼ばれして、久しぶりにご対面!すっかり大人になっていたので、びっくり!、もちろんスペイン語でご挨拶。あれ?あれれ?、、、、、こんにちは、すっかりおとなになっちゃって!なんとまあ~!口からでてきた言葉は、、、

彼らの住んでいるマンションはグラナダで一番高い(値段も高い)高層マンションでした。雨があがったので、屋上に。
そこには、アランブラ宮殿の夕焼けが。

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グラナダの町

黄色の家ひまわりむすめとびはねる

グラナダの青い空にはえる黄色の家に娘と孫が住んでいます。
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壁はピンクです。

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ピカソ、ダリ、ガウディと、とんでもない芸術家が居た理由が少しわかる気がいたしました。
娘の住んでいるマンションの前は大きな遊歩道(パセオ)です。そこにおいてあるイスには、素敵なドレスの貴婦人、燕尾服の紳士が座っています。(彼らは彫刻作品)そのとなりには、本物のグラナダ人が夢中でお喋り、両脇には、バラ、こでまり、ジャカランタ等々が咲き乱れその先には、素敵なまちなみが、、、M1010003
この町並みを眺めながら、パセオを春のかぜと戯れながら、孫娘と散歩。いつの間にか私も暢気なグラナダ人に。

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グラナダ

グラナダの駅に到着ほっとする

文京区小日向の古家を出てから約48時間、やっと辿り着きました。駅からは娘の名前の看板が!テラッサには、お客さんがいてくれました!
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このお店は、3年前にオープンいたしました。10年前に、母親の反対を押し切って日本を脱出、ローマからグラナダへやってきた我が娘は、無謀にもグラナダに飲食店を造ってしまいました。どうなることやらと、はらはらどきどき、母親の私が痩せる思いでした(実際には少しも痩せません)が、娘は逞しく子供(孫娘)を育てながら、頑張っています。

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アルハンブラ

吾子の住むアルハンブラ黄色の菜

スペインのグラナダのアルハンブラは菜の花と、アルハンブラ宮殿の先には残雪の白いシェネバーダの山並み、そして青い空201104261738000_1
4月16日から娘と孫娘の住むグラナダに行ってきました。成田からパリ経由で、マラガで一泊、翌日バスにてグラナダへ、自宅から2日がかりです。
口からでてくるスペイン語は「オラ!」のみ。一人で、度胸だけで旅してきました。
成田では、娘と孫娘へのお土産でトランクが重量オーバーに、なんと9800円も徴収されて、高いお土産に。一泊したマラガは、コスタ・デ・ソル(太陽の海岸)の中心都市で、ピカソの生まれた町、ピカソ美術館があり市内中心部の公園には、ジャカランタの紫の花が明るく晴れ渡った青い空に。日本の桜のようです。

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