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2011年3月

ピザ

ラウンジで美味しいピザここはどこ

地獄らか天国へ。ガーナ、トーゴ、ベナンには大使館がありません。パスポートの再発行の手続きにはコートジュボアールまで行かないと。「パスポートを運転手さんが拾ってくれなかったら、、、」地獄にまっさかさま状態です。

ブードゥー教のまじない師に私以外の人達が旅の安全を祈っていただいたお陰で天国の階段を。改めて運転手さん、旅友の皆さん、旅行会社の大友さん、地元の旅行社の社長さんこころから感謝申し上げます。712
大騒ぎの後は、ウィダの沿岸沿いの大きなプールのあるリゾートホテルでビザ。涙がでるほど美味しかった!
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プールサイドで記念撮影。
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足元を見ると、毒々しい赤い色の背のあるトカゲがあちこちに。やっぱりそこはアフリカでした。
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大失態

えっ!うそ!落としちゃったやっちゃた

最後にやっぱりやってしまいました。旅にでるたびになにかものを亡くしてきていました。因みに、クロアチアではカメラを、ボスニアでは、携帯電話を、ザルツブルグではお財布を、ノルエーでは手袋を、、、今回の旅はなにも亡くさないで日本に帰れるかな?と思っていたのですが、、、

この日は、ガンビエ湖の世界最大の水上部落の見学。この湖は約200キロメートルもあり中央に16世紀ごろ奴隷狩より逃げてきたトフィノ族が住む集落があります。579
湖の周りには、集落に住む人たちが魚と水の物々交換をしたりしたいました。ここでも良く働く女性たちの姿があちこちに。
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交通手段はすべて船です。
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水上集落には、現在3万人ものひとが住んでいるとのこと。ホテルも教会もありました。
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「このホテルに宿泊するのはそうとうな覚悟が必要ですよ!」とのガイドさんの話がありました。どんな覚悟なんでししょうか?聞きそびれてしまいました。
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このホテルの床は、桟橋のように隙間だらけ、こんなところに物を落としてしまったら、やばいよね!なんて能天気なことを、、、
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暢気な顔して、記念写真。(実はこのときには、パスポートを落としていたのでした。)
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陸に戻ってきました。すっかり仲良しになったバスの運転手さんが、にこにこして私を迎えてくれて、なんと私のパスポートケースを見せびらかせています。「私とおんなじパスポート入れ!どこで買ったの?」もちろん英語です。「これは、あさこのだよ!」「ほんと!うそでしょ!きついじょうだんやめてよ!」自分でも驚くほどの、単語がでてきました。

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血の臭い

血の臭いブードゥー教の聖地にて

いよいよ西アフリカの旅も終盤に入りました。この日は、ナティティンゴを南部のアボメーを目指してベナンの舗装道路を走りました。因みにこの舗装道路は中国の企業が施工されたとのこと。昨年に行ったチベットも、中国が、中国の威力をここにも。
ダンゴリ村には、ヴードゥー教最大の聖地がありました。509

600年程前にダンゴリという人によって最初に生贄が捧げられれたとのこと。今は、生贄となったヤギや羊がオウンガンと呼ばれる神官によって屠られます。祈願する人は、木に釘を打ち生贄となった動物の血とヤシの油をふきかけてお祈りを。
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辺りには、ヤシ油や鳥の羽、生贄の動物の、、、、それはそれはこの世のものとは思えないような臭いでした。
さらにショックだったことは、その生贄にされた動物を食べるために村人が集まっていて、その支度を村の女性が黙々としている姿でした。
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おじさん達は鍋のまわりに立っているだけでした。
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逞しい母親の姿をここでも見ることができました。

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世界遺産

なんだろな世界遺産の由来とは

数多くの検定試験のなかに、世界遺産学検定があります。この検定試験は、ユネスコの理念や世界遺産の理解を深めることを目的として2006年に始まったとのこと。いままでに約2万名の人が受検しているそうです。

因みに、ものの本によると、世界遺産はユネスコで採択された世界遺産条約に基づき、「世界遺産リスト」に掲載されている「人類共通の宝物」である。1960年、エジプトのアジ・シンベル神殿がダム湖に沈む危機にあり、その救済キャンペーンがきっかけとなって世界遺産条約が誕生。

世界遺産は、「文化遺産」「自然遺産」「複合遺産」の3つに分類されている。文化遺産とは、人類の歴史が生み出した記念物や建造物群、文化的景観など。自然遺産とは、地球の生成や動植物の進化を示す地形や景観、生態系など。複合遺産とは、文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備えているもの。

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2004年に世界遺産に登録された村に住む人達です。
小さな子供があかちゃんの世話をしながらアクセサリーを売っていました。思わず買っちゃいました。
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ベナンのおばあちゃんと、日本のおばあちゃんと。
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このおばあちゃんの年齢を聞いて、驚き!なんと私のほうが年上でした!

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村の家

ブードゥーのいけにえかざる村の家

トーゴからベナンへの国境手続きはなく、すんなりと入国できました。ブードゥー教はベナンの国教。もともとは植民地時代の奴隷貿易でカリブ海地域へ強制的に連行された人々の伝承、信仰がキリスト教と融合してできた宗教とのこと。ブードゥーという言葉はファン族の言葉で「精霊」という意味だそうです。
2004年にユネスコの世界遺産に登録されたタンバルマ郷の伝統住居を見学。446

外敵や家畜を襲う野生動物から家を守るために、住居の入り口にはブードゥーのご身体がまつられて生贄が。
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住居スペースと
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穀物倉庫は、屋上部分にあります。あちこちに人類の知恵が。
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穀物倉庫を開けて覗かせてもらいました。
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この住居に住んでいる姉妹です。若い女性のとなりに並ぶと、目立ちますね!おっぱいのないのが、、、

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トラック

あっ!前のトラックアーメーン

この日は、トーゴを北に走りベナンへとでこぼこ道を。このカラの町は前大統領エヤマデの出身地。現在も後を継いだ長男ニャシンべのポスターがが飾られていて、さらに大統領専属の軍隊の駐屯地も見えました。

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コートジボワール内戦の影響で、マリ、ブルキナファソ等の内陸国へ輸出入品を運ぶルートがこのトーゴに集中してしまっているために過剰搭載のトラックの行列。道路の脇はバランスを崩してしまって横転したトラックがあっちこっちに。
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前を走っていたトラックが横転。積荷のカカオ豆が、、、、「もったいない!」
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完全に道路が塞がれてしまいました。
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待つこと?時間。そのあいだカカオ豆を「今のこのカカオ豆が高騰しているんだよね、チョコレートが高くなるんだってね、」なんって独り言をいいながらもくもくと拾いに。待てよ、もしかして私、火事泥棒?おみやげにとひとにぎり、ビニールの袋にいれてきました。カカオ豆をかじってみたら、、、苦いのなんなのって。
それにしてもこの国の人達はこのような事故に遭遇しても慌てることがないんですね。433


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炎の儀式

強烈な炎の儀式太鼓の音

アタブコという小さな村にブードゥー教の炎の儀式の見学。村人が農作業に出る前に私達のために朝から広場でやってくれるとのこと。そこには、あのアフリカの強烈な太鼓の音が。368

村人の男達が、焚き火の周りを取り囲んで回り始めました。
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かつて他の部族との抗争がある時代、ブードゥー教を信仰する人たちは炎の精を身体に取り込んで、鉄の肉体を手に入れて戦ったのだとのこと。
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突然、私の目の前で燃える木の棒を口のなかに、、、、エエエッッッ

そして、剣を身体に、、、
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確かに、この若者達の肉体は素晴らしい!こんな素晴らしい若者のはだか(残念ながら上半身のみ)が目の前に、一瞬くらっと。冥途の土産がひとつ増えました。

村の女の子達が、飛び入りで太鼓の音に合わせて踊ってくれました。その足裁きはお見事!413
アフリカの女性達のヒップがキュッと上がっていて子供をヒップのうえに乗せている姿をみるにつけ、どうやったら、なにをしたらあんなに、、、小さい時からこのように踊っているからでしょうか?

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サバンナ

土埃サバンナの地北上す

首都ロメから中部の都市のソコデまで、サバンナの大地を眺めながら幹線道路を北上。303

昼食は村の食堂でいただきました。さすがに日本を出発してから丸1週間も過ぎると、だんだん食が細くなってきました。でも不思議なことに体重は全く減っていないのです。むしろ体調は日本にいるときより良いんです。もしかして、私の前世は、ここで暮らしていたのかも?
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これは、この国の人たちが食べている食事です。
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前世の私?前世の私の後ろに写っている青い箱は、美容院です。
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道路脇で、食べ物や水を売っています。この村でも女性達がよく働いています。

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おまじない

ブードゥーの恋のいくへのおまじない

トーゴ最大の都市の首都ロメは、ベニン湾に面する港町で、行政、交通、経済の中心地。国際貿易の大半はロメ港を通じて行われ、主な輸出品は綿花、コーヒー・カカオ・ヤシ油とのこと。さすがにロメにあるホテルなので、フランス風の朝食は、最高!オムレツ、カフェオレ、クロワッサン、そしてマンゴー、パイナップル、パパイア、、、美味しく頂ました。ぐっすり寝て、美味しいものを食べて、なんと私は幸せものなんでしょう!
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朝食後、市内見学へ。フェティッマーケットへ。
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広場には、雑多な動物の頭の干物や皮、怪しげな人形がところ狭しと並べられています。
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さるの頭の干物に釘付け。もしかして私のご先祖さま?
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怪しげな人間と怪しげな人形。

ブードゥー教のおまじない師に旅の安全、記憶力が甦るおまじないをしてもらおうと、、、、まじない師のいる部屋へ。326

若いまじない師なので、恋の成就のおまじないを、、、、、こんなところに来てまで、見栄を張っている私でした。

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ボンジュール

マドマゼルボンジュールメルシボク

いよいよ国境越え、出国、入国検査です。現地の旅行会社の社長さんが手際よくしてくれました。この社長さんは、マリの出身で36歳、とても頭の良い気転のよく効く男性です。マリの大学、大学院を出てから、ガイドの修行ををして旅行会社を企業。英語、フランス語が堪能です。トーゴは、フランス語が公用語。因みにガーナは英語。国境では、英語、仏語が飛び交ってました。287
社長のクンタさんです。

ホテルはフランス系のメルキュールホテル。エントランス、ホールそして客室の各階のエレベーターの脇には、イケメン君が。ボンジュールマドマゼールと声を掛けてくれてエレベータボタンを押してくれます。私は、ひとこと、にっこり微笑んで、ちいさな声で、「メルシーボク」

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大学の時には、第2外国語はフランス語だってことを思い出しました。たしか成績は優。なにを勉強していたんでしょうかね~?308

フランス語も話せない私は、このプールで泳ぎストレス解消。

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トーゴ

ガーナから国境越えてトーゴまで

この日は、いよいよトーゴ入りです。首都ロメに向けて渋滞のアクラの海岸線のでこぼこ道を。車窓からの眺めは最高!284

道の両脇には、みずがめが。
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ボルタ川を渡りました。ブルキナファソから流れてガーナを貫流する1600キロメートルの大河です。294

川のほとりでは地元の子供達がはだかで気持ちよさそうに泳いでいました。手と足がすらっと伸びていて、均整のとれた素晴らしい身体にうっとり。

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小さくてまだ泳げない子は、、、、
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私の小さいころにそっくり!

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奴隷海岸

エルミナの奴隷海岸胸つまる

大西洋岸のエルミナのケープコーストの町に。227

この海岸線は540キロメートルにもおよんでいます。272

セントジョージ要塞は、1482年にポルトガル人に最古の商館として建てられて、当時は海水が堀を埋めていたとのこと。この要塞には、女性の奴隷400人男性の奴隷600人収容していたそうです。

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この部屋の中を懐中電灯で足元を照らしながら入りました。壮絶でした。狭い洞窟に150人もの奴隷が積み込まれていたそうです。床から50センチのあたりに筋が入っていました。そこまで糞尿が詰まっていて、そのなかに押し込まれていたそうです。それも体中鎖に繋がれて。244

このようなくさりです。
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女性の奴隷は、総督はじめこの中で働く男性達の性の奴隷でもあったわけです。なかには、私みたいに生意気な女性も。拒否した女性は、鎖で巻かれて拷問。子を孕んだ女性は、子供が4歳になるまでは、要塞近くの収容所に住まわせて、それから奴隷船にすし詰めされてアメリカ、南アメリカに送られていったのです。大西洋を渡った奴隷は1500万人以上。強靭な肉体と精神をもった奴隷の人たちの子孫が、今のアメリカを支えているのでは?

帰り際に、特別にということで異臭が漂っている部屋を覗いてみました。真っ暗な闇のなかには、なんとこうもりが部屋中にびっしりと。鈍感な私もさすがにその晩は、、、、

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穏やかな海に、感謝!

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教育

教育を親の願いただひとつ

ガーナでは、小学校も訪問しました。子供達の笑顔は万国共通ですね!103

この子達は、孫のソフィアと同じぐらいの年齢です。

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今年の1月初めに元世界銀行副総裁の西水美恵子氏がなさった講演でのお話です。彼女は、貧困の現実を知るべくパキスタン北部の山村に暮らす家族と数週間寝食を共にしたそうです。女性達は1日に3度、片道1時間かかる山の上まで水汲みに行く。食事は子供に優先的に与え、自分の分がなければ水で凌ぐ。母親の希望は子供達に教育を受けさせること。275

どこに行っても「母は強し」です。
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ヤシ油

ヤシ畑ヤシ油にヤシ酒と

今回の旅は、ボックスカーの屋根にトランクを積んで、運転士さん、現地ガイドさん、旅行者の添乗員さん、そして参加者6名とで、一緒の行動をしました。不思議なもので、5日目となるとお互いに慣れてきてバスのなかでもお喋りに花が咲くようになってきました。
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クマシから大西洋岸のエルミナまで160キロメータをこのバスでいっきに移動。トイレはもちろん青空トイレです。昨年行ったチベットの旅のときも青空トイレに何回もお世話になりました。私は青空トイレが大好きです。ヤシの林のなかの青空トイレは最高。土が乾いているので、すーっと浸みていきます。身もこころもすっきり!

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トイレの後は、ヤシ油とヤシ酒を作っているところを見学。当然のこと電気もガスのないところなので全て手作業。ヤシ酒は、13年ほどたったヤシの木を切り倒し、幹をくりぬいた空洞から1日火であぶり抽出した、ジュースのような汁を蒸留して作るのだそうです。
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もちろん、好奇心の固まりの私は、まずジュースで味見、甘酒かカルピス、、、微妙な味でした。約55年前ぐらい前、実家の父が作っていたどぶろくを盗み飲みしたときの味を思い出しました。
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蒸留後の絞りたての液体(ヤシ酒)は、、、、この世のものとは思えないほどの味でした。
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ガーナの市場

喧騒のガーナの市場かたずのむ

西アフリカ最大といわれている市場に行きました。161

人と車と品物で、市場はごったかえしていました。通りではあぶないので、建物の2階からの見学です。ガーナ周辺の国々の人たちがやってきていて、物凄いエネルギーです。
衣類や靴などはほとんど中古で、中国からきているとのこと。ここでも中国の威力の波が。
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こちらの国の人たちは、荷物を上手に頭の上に乗せて運んでいます。これぞまさしく人類の知恵ですね!
ここでは、ココアをおみやげに買い、そしてやしのジュースを、、、味は、日光のてまえ(今市)でしたが、169
このおにいさんの包丁さばきはみごとでしたよ!

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女系

女系のアシャンティ族におめもじや

黄金海岸、金山の見学の後は、かつて三角貿易で栄えたアシャンテイ王国の都のクマシに出発。初めにバシイシ村へ。081

ヤシの茅葺で造られている傾斜の屋根をもつこの神殿は、1950年代以降に修復が行われて現在世界遺産に登録されています。とても素朴な不思議な趣のある神殿でした。
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いよいよ、アシャンティの王族が現在も暮らすマンヒヤ王国へ。
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アシャンティ王家は女系の集団だそうです。王位は父から息子に承継するのではなく、王の母親を通してその親族関係の優位である男子が王位を承継するのでそうです。たとえば、王様が亡くなったときには、母親の生んだ男子がいれば、その男子が王様に、万が一いなくて娘がいれば、娘の生んだ男の子に、、、、良く理解できません。これ以上考えてしまうと寝れなくなりそうなので、止めておきます。そういえば、昔、こんな漫才がありましたね!地下鉄にどうやって車両を入れるのか、考えてしまったら寝れなくなってしまったと。
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ラッキーなことにこの日は、王様が民の前に姿を現す日で、王宮前広場で地方長官達が王様に
貢物を持って、村の出来事を報告していました。貢物のなかには羊もいました。121

正装をして、王様のお姿を見にこられた双子の姉妹です。貫禄ありますよね!さすがにアシャンティ族は女系族ですからね!130


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金鉱山

捨石にきらりとひかり金鉱山

「世界の金鉱山生産過去最高」3月8日の日本経済新聞の夕刊の見出しです。この記事によりますと、「世界の金鉱山の生産量が9年ぶりに過去最高を記録した。金の価格は、約31.1グラム1445.7ドルと過去最高を更新した。」とのことです。1グラム日本円でいくらなのでしょう! 、ガーナではウバシの町にある金鉱山を見学。この金鉱山は114年前から掘られているとのこと、これからも掘り続けるのです。現在は5500人の従業員がおり、4000人が地下の坑道で8時間ごとの3交代で作業にあたっているとのこと。私も作業服に着替え、長靴を履き、ヘルメットをかぶり、いざ出陣!高速エレベータで地下1500メートルへ、、、、> 064 8時間働いた人達が、高速エレベーターから降りてきました。空になったエレベーターを覗いて、、、止めました。 そこで、記念撮影。

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地下で、発掘された岩石のなかに金があるのです。粉々に岩石が砕かれてその土砂のなかから金を分別され、この土砂1トンあたり8グラムの金が採取されるのだそうです。納得!金が高い理由が。

捨ててあった山になっている石を目を凝らしてみると、きらりと光るものが、、、とっさに手が伸びてました。

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忍耐

忍耐はただひたたすらにほとけのざ

野口英世博士のお母さんのシカさんは、どんな気持ちで息子からの手紙を待っていたんでしょうか?

アフリカのガーナって本当に遠いんです!行ってみてびっくり!我が家をでてから丸2日かかったんです。それとガーナでは、携帯電話がつながらなかったんです。

実は、ガーナから私の大切な人にはがきをかいたんです。届いたのは、私が帰ってくるのと同時だったんです!ということは、シカさんには、息子からの手紙は届かなかったのでは?

ガーナで、51歳で野口英世博士はお亡くなりになってしまいました。004この碑には日本語で「忍耐」の文字が刻まれています。 002野口英世博士の記念館です。

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子を思いアフリカの地に文をかく

時差ボケも緩和して、少しずつアフリカのことを思い出しています。ガーナの首都アクラに到着して、すぐに野口英世博士記念館にでかけました。1000円札に印刷されているあの顔の銅像が庭で私達を待っていてくれました。早速に、記念撮影。Nishiafurika_004

記念館の中には、母シカさんの野口英世に宛てた手紙が展示してありました。「おまイのしせにわみなたまけました。わたしもよろこんでをりまする。かねをもろたこトたれにもきかせません それをきかせるトみなのまれてしまいます。はやくきてくたされ はやくきてくたされ はやくきてくらされ はやくきてくらされ いっしょうのたのみであります。はやくきてくらされ いつくるとおしえてくたされ、これのへんちまちてをります ねてもねむられません」

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こんなに遠い国に来て研究していた息子に、早く帰ってきてくれと懇願する母親の思いがひしひしと伝わってきて、胸が締め付けられてしまいました。黄熱病にかかり51歳で亡くなってしまった野口英世の記念碑の忍耐の文字が、今も目に浮かびます。 008

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