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母の日

母の日に妣に捧げる感謝状

昨日は母の日でした。私にとっては、妣の日でした。因みに亡くなった母のことは「妣」というのだそうです。

2005年に「親を考える会」の代表の近藤昌平さんにお声をかけていただき、「愛する母への感謝状」かんき出版に掲載していただきました。もう絶版になっておりますので、ここの再現いたします。

「あなたがそこにいるだけで」

手料理でお客様をもてなすのが大好きだった私の母に育てられた長女が、料理研究家になることを目指して、4年前にローマに留学した。その後、アルハンブラ宮殿のあるスペインのグラナダに嫁いで、大きなお腹を抱えて6月中旬に帰国した。今、私は久しぶりに長女と出産準備のための買い物を楽しんでいる。

長女の出産予定日は、奇しくも亡くなった母の生まれた日の10月10日で、生まれてくる子供も女の子と言われいる。そして、今年は母が亡くなって丸10年が経っている。「十年一昔」というが、この私が、母と娘のお陰でお婆ちゃんになれることに、「ありがとう」の思いで一杯でいる。

母は、大正3年(寅年)群馬県の榛東村で、8人弟妹の長女として生まれた。「上州のかかあ天下」と「豪の寅」を実演しているような母は、働き者で、豪放磊落で世話ずきでした。母は平成7年8月31日の朝、身支度を整えて、普段着の割烹着姿で横になり静かに息を引き取った。私は、母の死から「良い生き方は、良い死に方」につながることを学んだ。「母のように良く働けば、母のように楽に死ねる。」と信じている。

柳生家に嫁いだ母は、「柳生家の家訓」である「小才は縁に気づかず、中才は縁を生かさず、大才は袖すり合う縁をも生かす。」を実践した生き方をしていた。ご縁を大切にして、お会いした人を大切にしていた。私もご縁を大切にする生き方を心がけている。

私と娘に、「人さまから可愛がられる人になりなさい。」と育ててくれた母の教えは、しっかりと孫娘に根付いている。日本人の少ないスペインのグラナダの田舎町で、夫の家族や、夫の友人に可愛がってもらいながら、学校での学生生活を楽しんでいる。「子供が生まれたら、舅姑に子育てを手伝ってもらいながら、料理研究家の夢は必ず叶える。」と話している。頼もしいかぎりである。

私の机の上には、母が微笑んでいる似顔絵と、母が大好きだった相田みつお氏の書が額に入れて飾ってある。「あなたがそこにただいるだけで、みんなのこころがやすらぐ、そんなあなたにわたしはなりたい。」私もいつか母のようなおばあちゃんになりたいものである。

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