地獄谷野猿公苑へ

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雪道をさるを見たさに地獄谷

標高850m、一年のほぼ3分の1が雪に覆われる横湯川の渓谷に1964年に開苑した地獄谷野猿苑に行ってきた。自宅を朝の7時に出発、新幹線にて長野駅へ。レンタカーにて地獄谷野猿公苑の駐車場へ、そこから雪道を滑らないように林道を約40分歩いていくと

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やっと、群れで生活をしているといわれているニホンザルの野猿苑にたどり着いた。ここは、外国人に凄く人気があるようで、八割方は西洋人だった。中に入ると、湯けむりのたちのぼる静かな谷があり、白い世界の中でお猿さんたちが、温泉につかっていた。

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後ろから、お婆さんを見ているお猿さんをバックに記念撮影。

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雪道をすってんころりんとならないように慎重に降りてきて、雲一つない青空のもと雪をかぶった山並みをみながら

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道の駅オアシスおぶせに。

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暖かな陽射しのなかで、散歩を楽しんでいた人達がいた。「春どなりほどけてゆけり人の肩」

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フレディ・マーキュリーの生家へ

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イギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリストとして活動していたフレディ・マーキュリーの生家へ。彼は、ポピュラー・ミュージックの歴史のなかでもっとも偉大なシンガーのひとりとされている。「ボヘミアン・ラプソディ」や「キラー・クイーン」、「愛のすべてを」、伝説のチャンピオン」などのヒット曲を作詞・作曲した。

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生家の前には、男の子達がたむろしていた。

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フレディ・マーキュリーは、1946年9月5日に生まれて、7歳でピアノを習い始まる。彼は、ラジオで聴いた曲を、ピアノで再現してしまうという絶対音感の持ち主だったようだ。

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フレディは、世界中のスタジアムでライブ公演を行い、そのスタイルは「演劇的」であり、上半身を露出したタイツ姿は、型破りだったようだ。

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彼はコンサートでは、グランドピアノで使用してピアノの弾いたり、ギターを弾いたりと舞台の上を歩きまわって観客を魅了させた。

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生家には、グランドピアノがありピアノの上には自らデザインした衣装があった。彼は、ポピュラー・ミュージックの歴史の中でもっとも偉大なシンガーととされていて、観客を引き付けたと言われている所以を垣間見た。

1991年11月24日に若干45歳で、亡くなってしまった。「美男は薄命」。

 

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76歳に

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本日、76歳になった。散歩をしているとあるお寺の掲示板に真民先生の詩があった。

「いくら思うてもわからない」って、どれだけ考えても理解できないってことなのか。「いくら議論してもわからない」って、どれだけ話あっても結論に届かないことなのか。

「不思議な世界」があるということが、76歳になったのだからわかるようになれればいいなぁ~!

このところ、相続や離婚の相談を受けるなかで、「なんでだろう、どうしてだろう」と悩んでしまうことがある。「いくら話し合ってもお互いの思いが届かない」このようなときに、どのような言葉をかけてやったら、、、。

76歳になったのだから、もうすこしましなことが言えるようになれるといいなぁ~!

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同じ76歳の友人から、「一生懸命営業中」の看板を頂いた。「かるみの境地」を目指して、急がず、怠らず、笑顔で日々過ごしたいものだ。

因みにだが、「かるみ」とは、重苦しくなく、自然体でさりげない味わいを持つ境地で、あの松尾芭蕉が晩年に到達した俳諧の理想で、それまでの「幽玄、さび、わび」といった深く重い美意識を超えた自然がにじみ出す軽やかさを指しているんだそうだ。

具体的には、深さはあるが、重くない。「この道や行く人なしに秋の暮れ」

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アングリカン大聖堂へ

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ストーンタウンの狭く入り組んだ路地を抜けると大聖堂が。

ここはかつて、東アフリカ最大級の奴隷市場があった後に、「贖罪と解放の象徴として」聖堂が建設されたのだそうだ。

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祭壇の場所は、かつて奴隷を鞭打った場所だとのこと。

奴隷貿易禁止後、1880年に建てられた大聖堂はかつての悲惨な歴史を伝える役目を果たしているのかもしれない。狭く暗い湿った地下奴隷屋に入ると、息苦しくなってしまった。

十数年前に行ったガーナの奴隷海岸での奴隷部屋を思い起こしてしまった。この数倍の大きさの部屋の天井には、コウモリがへばりつていた。こっちの部屋の方がまだましだ。

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聖堂前の広場には、地面に半ば埋まる姿で、鎖に繋がれた無言の叫びのような表情をした石の像が。Img_3663-3

少々重たい気持ちになってしまったが、仲良くなった地元のガイドさんの明るい笑顔に救われた。彼女は25歳でふたりの子供達の母親なんだそうだ。イスラム圏のこの地で女性が外で働くことの意義を英語で語ってくれた。

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ザンジバル島その2

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2000年にユネスコの世界遺産に登録されたストーンタウンへ。

ホテルで一休みしてから、1830年代にオマーン帝国の進出によって造成された旧市街へ。珊瑚石とマングローブで作られた白壁が特徴的なの建物が密集する細い路地を抜けていくと

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脚の長い子供たちに。

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伯父さん達は、ゲームを楽しんでいた。かつてこの島は香辛料の貿易だ莫大な利益を得ていたからなのか「浮世の馬鹿が起きて働く」とうき文化があるのかも。日本人だけかも「働いて、働いて、働いて、働いて」と頑張っているのは。

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アディスアベバへ。

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二月雪玄関の前に雪だるま

あっという間に、2月に入ってしまって今日は雪が降ってきた。タンザニアの旅から帰ってきて約1か月、思い出が熟成してきたようだ。この時期を逃してしまうと腐ってしまうかもしれないので、今日からコツコツと書くことに。

12月28日20時30分発のエチオピア航空機に乗って、成田からソウル経由でアフリカの玄関口のエチオピアの首都アディスアベバへ。インチョンまで約2時間、そこから約12時間、まさに長丁場だ。よりにもよって、エコノミークラスで3人掛けの真ん中の席だ。チベット、パキスタンの上空辺りで辛抱の限界。「なんで、こんなつらいおもいをしなくてはならないんだろう」身体も心もガチガチ状態に。

トイレの脇で泣き顔で深いため息をしていると、東から朝日が。「息を呑む」とはこうゆうことなのか。目の下のある雲の上を色鮮やかな光が波紋のように広がっている。朝焼けだ。

窓に朝日が差し込んでくると、アフリカ大陸が見えてきた。アディスアベバ空港にやっと到着。広い空港のなかを、さまざまな国の人達にもまれながら、ザンジバル島に向かう飛行機の搭乗口へ。

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ケニア上空を南へ小さな飛行機に乗ること2時間半、やっとへろへろ状態でザンジバル島のホテルにたどりついた。

 

 

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念ずれば

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念ずれば花ひらく苦しいときいつも母が口にしていたこのことばをわたしもまたこころの灯として生きていこう。(坂村真民)

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雲一つない快晴のなか、車窓からの風景を楽しみながら東武日光駅に。そこからレンタカーにて栃木県日光市・鬼怒川温泉のすぐ上流にある龍王峡に行ってきた。野岩鉄道の「龍王峡駅」は残念ながら閉まっていた。

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約2200万年前の火山活動による容顔が鬼怒川の侵食で削られてできたといわれている渓谷を、転ばないようにゆっくりと階段を降りていくと

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目の前に大きな岩とその先に「念ずれば花ひらく」の碑が。

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平成2年の7月7日に85歳の斎藤茂吉先生の説明文が書かれていた。

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「念ずれば花ひらく」どのような道であっても、地道な努力を重ねていけば、やがて花がひらくと言われている。私の花はこれから咲くのだろうか。

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因みにだが、念とは今の心を整えて、今日を一日精いっぱいに生きることのようだ。そういえば、「今日精いっぱい生きよ、明日のことは、思い煩うな」という聖書のなかのみ言葉ある。

「思い煩うな」とは、必要以上に先を案じて、心を縛られ今日を生きる力を失うことを戒めている。「今できることに集中せよ」これがなかなかできないんだよね~!

 

 

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ザンジバル島へ

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12月28日20時30分成田発のエチオピア航空にて、ソウル経由で約16時間後にエチオピアの首都アディスアベバへ。

そこから航空機を乗り換えて、かつて奴隷・象牙・香辛料貿易の拠点でもあったザンジバル島に行ってきた。

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久しぶりの遠方への海外旅行だったので、少々の不安があったのだが、「そのうちといういえはない、行くなら今だ」ということで、出かけた。なんとか、帰ってこれて、「時差ぼけに筋肉痛が混じりおり」の状態で仕事が始められた。ありがたいことである。

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初春

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初春や猫のとなりで笑みこぼれ

暮れから心と身体のリハビリのためにタンザニアのインド洋に面したザンジバル島に行ってきた。

あけましておめでとうございます。皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。「歩んできた道のりがあなたをつくり、今日の一日が明日につながる」(坂村真民)昨年の2月に「後期高齢者」になりました。年齢を重ねても尊厳と誇りを保ち、幸せで前向きな「高貴幸齢者」を目指し、80歳の壁を超えるために体力づくりにはげみます。加えて焦らず、怒らず、威張らず、腐らず、無理せずに、相続、遺言作成支援、遺産承継、遺産分割の仲介を中心に司法書士業務に専念し、依頼者の一人ひとりに丁寧に対応してまいります。今年も今まで以上にお引き立てのほどよろしくお願いいたします。

今年の年賀に書いたことを旅先で、思い起して新年を迎えることができた。

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年の瀬に

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師走風写真整理で日暮れかな

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今年も残り2週間となってしまった。この2月に「後期高齢者」となってから、年齢を重ねても、尊厳と誇りを保ち、幸せで前向きに生きている「高貴幸齢者」を目指して努力してきたのだが、見事に挫折してしまっている。

息子に言わせると、「もともと麻子さんの辞書には尊厳も誇りもないんじゃないの」確かに。「可愛いおばあちゃんになった方がいいよ」そうだねえ。

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今までご縁をいただいた素敵な方々に、お会いできた。北島康介さんは、スペインのグラナダで日本食のお店をしている長女が、アテネのオリンピックで水泳連盟の料理人をしていた時に仲良くしていただいてからのご縁だ。

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スペインのグラナダの娘のお店(レストランテマサエ)には、孫娘が小学生の頃、当時日本水泳連盟の平井監督と星選手と北島選手が来てくれていた。

椎名誠氏は、日本旅行作家協会倶楽部にて、兼高かおるさんが会長をされていたときに頂いたご縁だ。「振り向けばご縁をいただきしひとばかり」ありがたいことである。

 

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